宇宙の闇は底が無い。
数多の火花と命を飲み干し、それでもまだまだ食い足らない。




シンは機嫌が悪かった。

評議長がラクスであった事では無い。
彼女のカリスマ性と功績は嫌という程聞いているし、彼女以外に評議長が務まる人間はいないかもしれないとすら、思っている。
直接話した事は無いが、それくらいには認めているのだ。

だが、今回の新評議員の人選だけは気に入らない。
真偽は定かではないが、噂によればラクスの推薦だったという。
よりにもよってアスラン・ザラとは。


(ずっと音沙汰無かったくせに…今更!)



第一級戦犯の子。
亡命者。
幾度と無くザフトを裏切り、英雄キラ・ヤマトと共に戦場を駈けた彼に貼られたレッテルは、昔も今も変わらない。
純粋な憧れの対象とするには、彼の生き様は裏切りに染まり過ぎていた。

ザフトを。
パトリックを。
オーブを。
そして再び、ザフトを。

しかし、コーディネーターの代弁者たるプラント最高評議会議員にのし上がったという事は、その影すらもラクスによって塗替えられたのだろうか。

(別にいいさ!あの人が優秀じゃないなんて思わない…評議会だってきっと上手くやるんだろ。
問題はそんな事じゃない!)


大理石の柱をシンはガンッと殴り付けた。
視界に広がる大会議室の中央にある巨大な円卓で、間も無く会談が始まる。
オーブ首長と評議員とのだ。
(…畜生!)

アスラン・ザラ。
シンにとって特別な存在である彼がカガリにとってもそうであると、嫌という程知っている。
その事実にどうしようもなく苛つくのだ。

(いつだってあの人は俺の上を行く…!)

好き勝手コウモリのように生きるくせに、それでも他人を黙らせるだけの力を持っている。
(引き付けるだけの力を。
その上で突き放せるだけの力を。
突き放した後も縛り付けるだけの力を…!)

それが、許せない。



脳裏に落ちるのは濡れた琥珀の光。
次々と扉をくぐって集まり始めた議員に頭を垂れながら、シンは唇を震わせ、主を思った。
(…アスハ…!)






――時は4時間前に遡る。

無残に飛び散った硝子の破片と、赤いワインがカガリの足元で広がっていた。
ドレスに飛んだ飛沫は、そのまま赤黒い生地に飲み込まれ同化していく。
壇上を見たまま動かないカガリの眼前にシンが回り込んだ。
「…代表。とりあえず医務室へ」
「………え?」
「指を怪我しています」
視界を遮るように現れた護衛の顔は、強張っている。

カガリはぱちんと瞬いた。
ゆるゆると言葉を飲み込み、己の左手を見下ろした。
白い薬指の腹に赤い筋が一本入っている。
破片で切ったのだろうか。

目の前でポトリと垂れた血とジクジクと伝わる痛みで、カガリは漸く怪我を実感した。

「そ…そう、だな……場を乱して申し訳ない。失礼させて頂く」
新評議長とホールの人間全てへ小さく詫びたカガリの肩を支え、シンは背を向けた。

「……変わったな」

壇上の青年が発した呟きに歩みが止まり、腕の中の小さな肩が跳ねる。

(―――変わった?)
肩越しに振り返れば、微笑む翡翠にぶつかる。
何度となく見た静かなまなざしだった。

(…誰が?俺が?こいつが?)

見た目についてだろうか。
それとも、今のやり取りを見て?

尋ねる気など起こらなかった。
感慨深げな声も、静穏な態度も、たった一瞥しただけで変わったなどと言えるその傲慢さも。総てが癇に触った。

「…そりゃ、一年も経てば」
シンは倹のある声で答えると、カガリを引き寄せホールを出て行った。





医務室で手当てをしている間、二人はずっと無言だった。
カガリは包帯の巻かれていく様をぼんやりと見つめ、シンはそんな主をただ見つめていた。
やがて手当てが終わり、あてがわれた個室へと戻った後、カガリはシンに背を向けたまま漸く口を開いた。

「今迄あいつ…どうしてたんだろ…?」
「…さぁね」
「今は何処で暮らしてるんだろ?」
「あんたが知らないのに俺が知るわけ無いだろ」

華奢な背に、ぶっきらぼうに答える。
今は真白い布で覆われているその指にはかつて指輪が嵌まっていた事を、シンは知っていた。

「まさか、こんな所で会うなんてなぁ…」
カガリは笑う。
けれど、揺れる肩は力無く不自然だった。
シンは無言でカガリを振り向かせ、
「……アスハ…」
唇を震わせた。


逃げるように伏せられた琥珀は僅かに潤んでいて、胸が音を立てて軋んだ。




シンがアスランを最後に見たのは、一年半前だ。
終戦直後、敗戦しデブリに取り残された自分を、彼はオーブ戦艦へと連れていった。


『もう戦争は終わったんだ』


シンの傷の手当てをしながら、アスランは酷く疲れた声音でそう言った。
だが仲間を大勢失った事、自軍が敗れた事、それでも敵であったオーブが撃たれなかった事に安堵する自分がどうしようもなく悲しくて、シンの滲む視界にアスランの表情は映らなかった。
朧気な背中だけをただ覚えている。

その後彼はオーブに帰還し、シンもまた自身を見つめ直す為故郷へと移住した。
けれど、それから暫くしてアスランはプラントへと渡る。
発つ前夜、別れの挨拶に来た彼の隣には見知った、けれど、カガリとは違う少女が寄り添っていた。

『カガリを頼む』


目を見開くシンを一瞥し、行こう、と隣に声を掛け、掛けられた少女は頬を染めて二つに結われた髪を揺らせた。


あれが彼を見た、最後の姿。最後の言葉。




(アスランを追わなかったのはアスハだ。
発つ事を知らなかった訳がない)

大理石の柱をシンは再びガンッと殴り付けた。

二年前のカガリは、アスランに依存していた。
縋るような琥珀がいつも向けられていて、翡翠もそれを享受していた。
その姿は誰が見ても、主人と護衛の域を越えていたと思う。

そう、あれは恋人へ向ける目だった。
だが、

(追わなかったのは……アスランを思ってじゃない)
カガリは国の為にアスランを捨てた。
アスランを愛し、けれど、それ以上にオーブを愛している元首は、己の幸せよりも国の平和を願った。

(…あの女はそういう奴だ)

だからこそ恨みを忘れ、今自分は彼女を護衛している。
だが、だからこそ。

(なんで今更現れたんだ!?
毎日毎日、立派な為政者になる為に必死に頑張ってるあいつの前に…!!)


お互い納得済みだからこそ、今迄会わなかったのだろう。
願う未来に互いを夢見なかったから、手を放したのだろう。

それを何故。



――その時。厳かな鐘が会談の始まりを告げた。
一介のSPには、絶対に踏み込めない時間の始まり。
シンは、円卓を埋める為政者達をぐるりと見渡した。
その中にある小さな金色の頭を見詰め、瞳を細めた。

もし、絶対不可侵のこの線をぶち破ったら、あの女はどんな顔をするだろうか。


各自の短い挨拶が終わり、最初に議題を上げたのはカガリだった。
「故デュランダル議長就任時より再三申し上げているが、先の大戦の折流出したオーブの軍事技術を返して頂きたい」

白く巨大な円卓の向こう、うら若き地球の元首に、プラント評議会議員達は笑んだ。
「我々は貴女の平和主義に賛同している。
いざという時にこの身を懸けて国を、民を守る覚悟。
故に、盾のみでは事足りぬ」
一人がゆっくりと囁く。

「然り。オーブが剣を持っている限り、プラントだけがそれを捨てるはフェアでない」
別の一人がテーブルに乗り出す。
カガリは首を振り、
「剣などでは断じてない!我等の力は、ただ盾だ!」
悲痛な声で叫ぶ。

「ならばそれすら捨てられませ」

涼やかな声が響き、結い上げられた桜色の髪が揺れた。
「刃のある盾など、国を守る為だけというには少々誤解を生み過ぎます」

カガリはラクスをひたと見据え、声を震わせた。
「…刃は、猜疑心に宿ると考える。貴女の目は曇り無き眼か?」
向かう空色の瞳が細められ、歌姫がころころと笑った。
「私は、刃は愛に潜むと考えますわ」
琥珀の瞳が見開かれた。

「貴女の愛は一途過ぎて…まるで刃のよう」


沈黙が落ちる。
厳粛な会談の場において場違いともとれる言葉だったが、カガリは己の手が汗ばむのを感じた。
これは揺さぶりだろうか。
視界の端に座るアスランを、未だ見ようとしていない自分に対する。
カガリはギュッと服の裾を握り締めた。

(無理だ…見れない)

罪悪感からなどではない。
そんなもの抱くくらいなら、別れたりはしていない。
だが、彼との思い出が胸を刺すように甦ってくるのだ。

何も知らなかったあの頃の自分達が、眩しくて泣きそうになるのだ。
罪悪感などでは無い。
だが、それならこの痛みは何だろう。

(涙が溢れそうになるくらいの、この苦しさは何だろう?)

四つ離れた席に座っていても、感じる気配。
懐かしい、けれど、昔とは何処か違った気配。
カガリはアスランを見ないままラクスに問い掛けた。
「…それは何の比喩だ?議長。
私が愛する対象は、世界の平和なのだが」
ラクスはゆるりと微笑んだ。

「…貴女の目こそ、曇り無き眼でしょうか?」

空色の瞳が、何処か陰りを帯びたように感じた。


カガリは小さく息を呑む。
琥珀が虚空をさ迷った。

覚えのある目付きだ。
この瞳は、別れ際に見たあの時の。

(…救えないと言われた、あの夜の)



歌姫が言った『彼』が誰を指すのか、正直自分は測り兼ねている。
ラクスが気に掛ける人間など限られているのだ。
ラクスに近しい存在で、傷を背負っている男などアスランと、カガリの双子の弟であるキラしかいない。

だが、カガリの考えでは二人とも救いを求める類の人間ではない。
差し延べられた手をやんわりと押し返し、自力で突破口を開く類の人間だ。
彼等の両手は神に祈る為にあるのでも、誰かに縋る為にあるのでもない。
自身の力で何かを守り、勝ち取る為にあるのだ。


(だから、救えないなんて言われるわけがないんだ。
あいつら自身が救いなんて待ってないんだから)

だが、じわりとカガリの背は冷たくなっていく。
歌姫は真実しか歌わない。
大戦を切り抜け、共に生き残った友人に対する信頼とも言える。

(じゃ『彼』って誰だ…?)
考え掛けて、思考が途切れた。

視界の端の翡翠が、じっとこちらを凝視していた。
静かな、水のように澄んだ目だ。
カガリの全身が更に冷たくなった。
ぎこちない程ゆっくりと目を逸らし、息を詰める。



会談が開始してから、アスランは一言も発していなかった。
初回だからと慎重に出ているだけかもしれないと考え、思い直す。
(…プラントに関わる真剣な会談の場で?
さっきの壇上での冷静な立ち振る舞いといい、折角手に入れた権力に尻込みするような奴じゃない筈だ)

思考が渦巻く。
冷たい汗が流れていく。

刃は武力だ。
人を傷付ける力だ。
故に人がそれを振るう時は、憎悪に駆られた時、でなくば恐怖に駆られた時だ。

カガリはそう考えている。


(…『彼』とは誰だ。刃とは何だ?)


黙り込んだカガリに、ラクスが再び口を開いた。
瞳の鋭利さとは裏腹に、柔和な声で。
「貴国の流出した軍事被害など、微々たるものでございましょう。

我等は貴国に脅威を感じざるを得ません」


そして、また落ちる沈黙。
肩に伸し掛かる空気の重さがあまりに無慈悲で、まるで最初から仕組まれたものだとさえ思えてくる。

「貴女の理想を信じていますわ。
私もまた、平和を愛しているのです。
どうかその信念に背く事の無きよう、御賢明な判断をお待ち申し上げておりますわ」

締めくくるように会議室に落ちたのは歌う様な美しいソプラノ。


その時、
俯き唇を震わせるカガリの耳に、聞きなれた声が聞こえた。

年若い、無遠慮な、その声。





「一言よろしいでありますか?」



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