その後、ラクスは何事も無かったようにアスランとキラの元に戻り、見事なまでの完璧な笑顔で、また四人でお花見致しましょうね、と微笑んだ。
アスランはそうだなと頷き、キラはちらりとこちらを見やった後、うんと笑んだ。
それを見てなんとか笑ったつもりだったが、彼等が騙されてくれたかは解らない。
どいつもこいつも、聡過ぎるから。
春といえど、夜はまだまだ肌寒い風が吹いていた。
闇夜に舞い散る桜と、踏み締める度に鳴り響く砂利の音だけが、空間を支配していく。
カガリはアスランの少し前をトボトボと歩いていた。
恋人。昔。変化。拒絶。
ラクスに突き付けられた言葉は、どれも耳が痛かった。
以前の自分であれば、笑い飛ばすような事なのに。
恋人はいなかったから考えた事も無いのは当たり前。
昔に想い馳せるような感傷は持ち合わせていない。
変化なんてどんと来い。
拒絶なんざクソ食らえ。
生まれてこの方、逃げも隠れもした事が無いのが自慢なのだ…そういう人間だったのだ。
(バカバカ、アスランのバカ!こんなに弱気な私は知らない…っ)
責任転化をして、カガリはその気を吹き飛ばすようにブンブン頭を振った。
「…何やってるんだ、カガリ」
「首の運動っ!!」
不思議そうに目を向けるアスランに、必要以上に大きな声で答える。
元気一杯に見えてくれているとよいのだが。
有り得ないが、もしラクスに話したような内容を彼に話したら、人一倍心配性なアスランなら余計な事まで悩み始めてしまうだろう。
極端な話、オーブに来たのが間違いだったのかとか、そもそも出会わなければ良かったのかとか、あの時仕留めておけば良……いや、これは流石に無い。
絶対に悟らせたくない理由は、他にもある。
どちらかというと、こちらの方が理由としては格段に強い。
彼を意識しているのだとか、二人きりで歩く夜道に緊張しているのだとか――そんなの、獅子の娘としての矜持が許さない。
(…なのに)
カガリは溜息を付いた。
頭によぎるのは、歌姫の言葉。
彼女は恋をして、淋しさを得て、伸ばせた筈の手を失ったと言ったか。
その時の酷く悲しそうな微笑みは、常ある彼女とは結び付かなかった。
ラクスは強く、優しく、聡明で、けれど、同い年の少女である事を忘れていた。
悩み、苦しむ事も当然あるのだ。
逃げ続ける自分とは違う悩み。
目を逸らさず立ち向かうであろうラクスだからこその、苦しみが。
そこまで考えて、カガリはちらりと後方を振り返った。
向かう翡翠の瞳が、ぱちんと瞬く。
「何だ?」
「……いや、別に」
訝しげにこちらを見やるアスランから、カガリはクルリと目線を戻した。
悩み、苦しんでる事はあるか、と訊こうかと思ったのだが、やはり怖くなってしまった。
(……情けない。私は、踏み出せた筈の足を失ったというわけだ)
後方から聞こえてくる砂利の音は、一定で乱れが無い。
カガリは振り返らずに、ちらりと目だけで気配を探る。
彼は隣には並ばない。
言えば並ぶだろうけれど、言わなければずっとそのまま。
ひょっとすると、もはや習性として染み付いてしまったのかもしれない。
彼を取り巻く総ての環境が、彼に求めたカガリとの立ち位置。
父以外の誰かをこんなに好きになったのは生まれて初めてだった。
初めて出会った時は、敵。
二度目に出会った時は、仇。
そして、三度目に出会った時は、同志。
生真面目で、優しく、すぐ一人でグルグル考え込んで、危なっかしい。
それが、カガリのアスランに対する印象だった。
父の、プラントの、全ての大義の為に迷い傷付き走り続け、けれど、強固を装った意思は報われず、一度は親友を討った事により脆くも崩れ落ち。
悲しみに泣き叫んだ彼の姿を自分は今も覚えている。
そして、泣き叫んだのは、アスランだけではなかった。
(――忘れない)
カガリは思う。
彼の慟哭を聞きながら、彼を罵り糾弾しながら、それでも―――彼が生き続ける事を願った自分を。
幸せにしたいとさえ、思った自分を。
(忘れたり、しない)
好きだと感じた、あの瞬間を。
けれど、恐ろしい。
カガリは、周囲が思う程幼くも、無知でもなかった。
現実くらいわかっている。
「―この音、好き」
小さな石や砂がぶつかり合い、擦り合い、弾けていく。
その際生まれる音は名の通り、ジャリ、ジャリ、ジャリ。
カガリは悪戯げに足元を掻き回し、楽しんだ。
「……子供みたいだぞ」
呆れたようなアスランのぼやきを無視し、続ける。
「風の音を聞くのも好き!」
「……あぁ、そう」
「花が咲くのも好きだ!」
「……そう」
「夜の散歩も好きだ!」
「言っとくが、真っ直ぐ官邸に帰るぞ」
「……………そーゆーのだけは聞き流さないんだな…」
「心外だな。君のセリフはどんなものでもちゃんと聞いてるさ」
からかうようにアスランが返すから、カガリも続けた。
「お前の手もあたたかくて、好きだよ」
――もしこの先、名を捨て、誉を失ったアスランが再びそれらを手にしようと望んだら。
プラントは手を差し延べ、オーブはそれを放すのだろう。
第一級戦犯の息子に国家単位での価値は無い。
ザフトのトップガンであった過去への付加価値は、プラントでのみ有効だ。
(…自分には守るべきものがある)
父の遺した国土。
大切な重鎮達。
平和しか知らぬ国民達。
そして、元首は物事の優先順位を知っていなければならない。
(だから、怖い)
政治の重要性も立場も理解しているが、それでも人の心がそれらの前に簡単に切り捨てられるとは思っていないのが、彼だ。
何より、元首にとって己が唯一無二だと信じている。
けれど、言わなければずっとそのまま。
無くした立ち位置を取り戻す為に、アスランは何かをしたりしない。
そして、それはカガリも同じだった。
悩みを言わず、苦しみを訊かず、ただ明るく無邪気な言葉で、救いだけの会話を続ける。
「…また来年が楽しみだな」
落ちた沈黙を紛らわすようにか、アスランが明るい声を出した。
「実は、花見自体が初めてだったんだ」
「…そうなのか?」
「花を見るのを目的とする外出はな」
「へぇ〜。昔から情緒の無い奴だったんだな」
「ほっとけ」
繋いだ右手が、不満げに握られる。
「冗談だよ。本気にとるな」
「どうだか。…カガリは楽しめたのか?」
砂利がギシリと鳴った。
琥珀が揺れ、閉じられて。
ややあって、ゆっくりと開き、
「うん」
右手にキュッと力を込めた。
アスランはじっとその様を見下ろし、やがてほっとしたような声を落とす。
「良かった」
翡翠が優しく細められ、
「生き抜きしなくちゃ倒れてしまうよ」
その輝きが闇夜に溶けた。
その笑みの柔らかさに、カガリもまた笑む。
泣きたい程好きだと呟いて。
いつか、追ってくる現実から逃げられなくなったらどうするだろう。
いや、きっと、自分だけは振り返りはしないのだ。
怖くて怖くて仕方ないから、彼が私の肩を掴み振り向かせない限り、自分はきっと、ずっと逃げ続ける。
(…それでも)
彼が己を取り戻す日を。
憚る事なく泣き叫んだ、あの少年の頃のような時を。
その先にあるのが―――別れだとしても。
(……振り向かせてくれるのが、お前だったなら)
恋人。昔。変化。拒絶。得て失っていく、何か。
決して、その名は呼ばないけれど。
(震える私をお前が抱く。その指もまた震えている事に私は気付かない)
2006.5.19.
お互いの中にお互いしかいなくなるのは怖い。逃避行なんてガラじゃない。