夜も更けた頃、巨木の下に二人はいた。
「四人で会うのは久しぶりだね、ラクス」
漆黒の天の下、青白い桜が咲き誇る様を見上げ、キラは傍らの少女に声を掛けた。
「そうですわね」
ラクスがふんわりと笑む。
その容姿は愛らしく、さながら桜の妖精のようだった。
「お二人ともお忙しい身の上でいらっしゃいますもの。
でも、今までお会いできなかったのは、今日をより楽しく過ごせるための神様の計らいだと思いますわ」
「・・・・・・・・いいね、それ」
キラは目を細めた。
ラクス・クライン。
優しく、慈愛に満ちた、聡明な少女。
大戦の折、皆を率いて戦争を終結に導き、また幾度と無くキラ自身をも導いてもくれた。
しかし、それだけではない。
(彼女にあるのは優しさや愛だけじゃない)
キラは瞳を伏せて口元を緩ませた。
彼女は可憐なだけの妖精ではない。
差し伸べられる手は、救いなどという生易しいものだけではなかったから。
導く先はいつだって、茨の道。
囁いたのはいつだって、ただ一つの真実。
託されるのはいつだって、血塗られていく剣。
それでも・・・・共に願う未来は温かかった。
誰より優しく聡明で老獪な彼女は、望む者に剣を与え、真実を歌う。
望まない者には、ぬるま湯と、誰もが幸せになれる夢を歌う。
残酷な、けれど心優しい歌姫。
「キラ、先に準備を済ませてしまいましょう」
「そうだね。全く何やってるのかなぁ、あの二人は」
「きっと道が混んでいるのですわ」
「こんな夜に?」
自分は願っている。
この少女に誰よりも幸せになって貰いたい、と。
そして、同時に知ってもいる。
その願いは叶わないだろう、と。
正直言えば、神の存在自体信じてもいないから、計らいも何も無いと思っているのだけれど。
彼女が彼と会っていない間、自分は彼と会っていたのだけれど。
一番丸く収まるのは、他でもない自分達がくっつく事なのだろうけれど。
―――けれど。
(残念、神様。
僕らは多分幸せを掴めない)
ラクスを思う度、胸が痛くなる。
彼を愛している彼女の願いは多分、叶わないだろうと思うから。
そして、もうこの世にはいない少女を忘れられない自分の夢もまた、叶うはずが無い。
目を背けたくなるような真実は、いつだって目の前にある。
それでも歌姫だけは目を逸らさず歌うから、自分は一歩も進めない。
「では、お仕事が残っていらっしゃるのですわ」
「カガリは明日に回すって言ってたよ」
「では、道に迷って・・・・」
「アスランがいるのにそれは無いでしょ」
ラクスがキラを見た。
「では、どのように御推測なされますの?キラ」
春の空のように澄んだ瞳は、今は夜の闇を映し込んで、青白かった。
キラは紫暗の瞳を真っ直ぐにラクスへと向け、
「二人だけで花見したくなっちゃってたりして」
秘密を囁くように紡いだ。
沈黙が落ち、ややあって、ラクスがふわりと笑んだ。
「それは無いのではありませんか?
約束を違える様な方々ではございませんわ」
「そうかな」
「そうですわ」
自分は知っている。
己がラクスに誰よりも幸せになって貰いたいと願っている事を。
けれど、それは叶わないという事も。
「僕、この間アスランと通信した時があってね。君には言ってなかったけど」
「あらあら。私に内緒で何をお話しましたの?」
「カガリとどこまで進展してるの?って訊いたんだ」
今、自分は真綿で彼女の首を絞めている。
いつか、確実に彼女が負うであろう傷が少しでも痛まないよう。
稚拙で傲慢で、無神経を装う。
「そしたら、まだキス止まりだって言うから。
カガリは拒んだりしないだろうから、もっと自分に素直になればいいのにって渇を入れてあげたんだ」
心ない言葉で痛みを与え、彼女が目を逸らし立ち止まればそれでいい。
でなくば、痛みに耐え切れなかった彼女が行動に出るのを待つしかない。
――そんなものは、見たくない。
「ラクスの時はどうだったの?彼は優しかった?君を愛してくれた?
それとも、昔の事は思い出したくないかな。彼は、今はカガリが大切だろうし。
君と会うより二人で会う方が嬉しいから、今夜は行くのやめようか、とか思ってたりしてね。
可笑しいよね。
彼はそんななのかもしれないのに、君は今でも―――・・・」
罪悪感で早口になり、揺れる瞳を足元に向けるキラの耳に、慎ましやかな笑い声が鼓膜に響いた。
キラが顔を上げると、ラクスがさも可笑しそうに此方を眺めていた。
「ふふっ・・・どうしましたの?キラ。それではまるで、私に気がおありのように聞こえてしまいますわ」
「えっ」
「だってそうでしょう。私を傷付けようと必死になってらっしゃいます。
まるで子供ですわ。今の言い方なんて」
キラは押し黙った。
「・・・・・調子がお悪いのでしたら、どうぞキラは座ってらして下さいな」
ラクスは柔らかく微笑むと、淡いブルーのビニールシートを敷いて、此処に、と勧めた。
そして、キラが運んできた重箱を一段一段丁寧に開けて並べ始めた。
その酷く美しい指は、キラの胸を切なくさせた。
咽喉に詰まる言葉を囁く。
「・・・そうだ。僕は君を傷付けたい」
ラクスが手を止めた。
「君が傷つく前に、僕が傷付けたいんだ・・・・・この意味わかってくれる?」
青白い瞳が静かにキラを見詰める。
「・・・まぁ」
その声音に、驚きは混ざっていなかった。
水のように澄んだ瞳を真っ直ぐキラに向け、小さく尋ねた。
「心配ですか?」
キラもまた目を逸らさなかった。
「心配だよ」
互いに誰が、とは言わなかった。
一陣の風が桜の木を大きく揺らした。
二人の肩に月の光を受けて青白く光る花弁が降る。
その時、元気な声が響いた。
「キラ〜!ラクス〜!」
弾かれたように振り向いた先には、闇夜に輝く金と、闇夜に溶けた紺碧があった。
結ばれた二人の手から、彼女は目を逸らさなかった。
ゆったりと二人に近付いていく少女の表情に、キラは細く息を吐き出す。
どうして、人は自分を愛していない人ばかり愛してしまうのだろう。
・・・・・愛しそうになってしまうのだろう。
(君には幸せになって欲しいんだよ・・・・・)
キラはラクスを見詰める。
もし、自分が再び恋をするとしたら、きっとその相手はこの少女なのだろうと思う。
けれど、過去と罪を忘れる事が出来ない自分は、きっと彼女が歌う真実には耐えられないのだろう。
そして、彼女は歌う事を止めない。
キラはラクスを見詰める。
アスランだけに向ける、花のような笑顔を。
(だから、神様。
僕らは絶対幸せを掴めない)
(震える僕を抱いた手はもう此処にない。あの日から、僕の震えは止まらない)
2007.1.13
それでも多分、彼女を救えるのは彼。