「いいか。今から始まる事は、私達ふたりの門出なんだ」
彼女は、彼の手を握りしめて囁いた。
「私はオーブの国家元首に。
お前は私のSPに。

私達ふたりでオーブを再興させような!!」


その時翡翠が滲んだように見えたのは、多分気のせいではなかった。



あの日、少年と少女は新しい人生を切り開いた。
あの日、確かに未来は薔薇色に輝いて見えたのに。






AM7:00 起床。
AM7:30 朝食。
AM9:30 閣議の準備。
AM10:00 閣議開始。
AM12:00 途中休憩兼昼食。
PM1:00 市街視察。
PM3:00 モルゲンレーテ視察。
PM4:30 閣議再開。
PM6:30 閣議終了。
PM7:00 夕食。
PM8:30 各省庁からの報告書を読み、調印する。

以降、時間の許される限り、オーブの実態調査、復興支援、それに対する予算案、具体案を次回の閣議までにまとめる。
尚、就寝時間は自由也。



「しんどい。つらい。やってられん」
だだっぴろい大広間で、思わず呻いた。
目の前には、美味しそうな鴨のローストビーフ、程よく茹でられた温野菜のサラダが全く口を付けられていない状態で、ガラスの大皿に盛られている。
アスランは、湯気の立つミネストローネを一掬いし、上品に口元に入れようとしていたスプーンの動きを止め、

「・・・申し訳ございません。代表、今なんと?」
元首の専属SPらしく、口元に微笑みを浮かべて慇懃に問うた。

「この殺人的スケジュールは、しんど過ぎるって言ったんだよ!あいつら、私を殺す気か?!」
カガリは、代表に就任してからここ一ヶ月のスケジュール表を、バンッとテーブルに叩き付けた。
あいつらというのは、オーブ内務省の官僚達の事だ。
国家の代表でありながら恥ずべき事だが、自分は彼らと折り合いが良くない。


「お父様はよくこんな大変な役職につかれていたな・・・!
朝から晩まで睨めっこ。相手は腹黒い政治家達、でなくば分厚い報告書とだ!!」

唯一外出が許される視察でも、始終SPに前後左右を囲まれていて、自由にはしゃぐ事すら出来ない。
・・・いや、視察は真面目に取り組んでいるが。

勿論、国家代表とはこういうものなのだと、解ってはいるのだ。
だが一日中、政治の話――今年の予算案がどうの、それじゃ財務省が納得しないだの、防衛庁が最優先だの――以外の会話が皆無というのは、かなり酷じゃないだろうか。
しかも、ここ一ヶ月ほぼずっとだ。

そんな中、唯一素の自分を曝け出せるのはアスラン・ザラだけだというのに、どうにも彼はノリが悪い。
カガリが憤慨している今でも、眉間にしわを寄せて頭を左右に振っているだけだ。


「代表、それが国家元首たる者の務めです。おわかりでしょう?」
「お前な、夕食時くらい私の愚痴を聞いてくれてもいいだろう?!あと、敬語はやめろ!!」
琥珀の瞳が睨むと、少年は困ったように肩を竦めた。

――アスラン・ザラは、生真面目な男だ。
この自分と唯一自由に過ごせる二人きりの食事の時間ですら、護衛と代表の立場を崩そうとはしない。


しかもそれは、カガリが代表に就任してから日に日に酷くなっている。
少女は怒鳴るのを止め、溜息をついた。

宇宙にいた頃や、オーブに帰ってきた当初の彼なら、カガリが我侭を言い出すと、宥めたり、叱ったりしたものだ。
そして、その事に少女が落ち込むと、途端に慌てて金色の頭を撫で、ごめんと謝った。
可笑しくて笑うと、アスランも笑った。

不器用で優しい少年を、好きだと感じていた。
彼となら、共に、オーブの未来を歩んでいけると思った。


あの代表就任の日、この少年にこれは私達二人の門出だと言ったのは。


(今日からお前も私の未来の一部なのだと。
私の隣がお前のいる場所なのだと)

(―――ひとりでは、ないのだと)


誰よりも強く、自分が思っていたからなのだ。



だが、アスランは就任直後から護衛業に没頭し始めた。
あの日の己の言葉が、違う意味で彼にある種の覚悟をさせてしまった事は明らかだった。

勿論それは、彼がオーブでの役目を必死に果たそうとしているからなのだと・・・気付きはしたのだが。

それでも時折、彼の姿があまりに必死過ぎて不安になる。
表面上だけでなく、心の底から、彼は国家元首の護衛になり切ろうとしているのではないか、と。

そんなつもりではなかったのに。
カガリは唇を噛む。

彼にアレックス・ディノと偽名を付け、SPに任命したのは他ならぬ自分だが、今はその事がとても苦しい。


アレックスと呼ぶ度、はいと返事をする彼。。
閣議が開始してから終了するまでの2時間ずっと、閣議室の前で待っている彼。
常にカガリの後方に控え、黙っている彼。
影で囁かれる悪意の言葉や、蔑視に気付いていない振りをする彼。

二人きりの時にすら代表と呼び、敬語を使うようになった、彼。


その事実が、
この胸を酷く締め付けるのだ。


「私とお前は同士なんだぞ。この官邸の中で、お前くらいしか私の愚痴を聞いてくれる奴はいないんだぞ」
サラダのトマトをフォークでつつきながら、低い声で言う。
声が、震えたかもしれなかった。
「お前を私の護衛にしたのは、私だけど……こんな風にして欲しかったわけじゃないんだ」

(なんで、私はこんな話をアスランにしているんだ)
口元が自嘲気味に歪む。

翡翠の瞳が苦しげに伏せられ、少年はゆっくりと椅子を引いた。


「…すまない」
小さな金の頭をそっと抱きしめ、搾り出すように言った。
その声に滲む苦渋の色が、やはり胸を締め付ける。

「いいか。次、二人きりの時に私を代表扱いしたら、絶交だからな」
頭上で頷く気配がする。
こんな事をわざわざ言わせるとは、本当に腹の立つ男だ。
悲しくて涙が滲む目を、彼の胸に押し付ける事で隠す。

彼に涙を見せたくなかった。



「・・・カガリ」

重苦しい沈黙が場を支配してから、漸く彼が少女の名を呼んだ。








ピィピィ・・・・
鳥の囀りが聴こえる。
アスランは大理石の壁にもたれたまま、その音に耳を傾けた。
小さく高い鳴き声が一つと、それより更に高い鳴き声が三つ。
親子だろうか。
口元を知らず綻ばせる。
だが、そろそろ渡り鳥は海へ向かう季節だ。
三、四日後には彼らは引越しを済ませ、自分はこの囀りを聴く事も叶わぬかもしれない。

「寒波が迫ってきてるらしい」
廊下の向こうで、使用人達の話している声が聞こえた。
「今年の寒波は、例年に無い大寒波だそうだ。北のシェールじゃ、積雪100〜150になるだろうって気象庁の話だぜ」
シェールは、オーブ首長国連邦の北方に位置する島だ。
年間を通して、夏でも最高気温25度、冬なら最低気温氷点下10度を記録する。

寒波が来るのなら、尚更早く旅立つに越した事はないな。
アスランは、鳥達の飛び立つ音を聞きながら、ふっと笑った。

使用人達の会話が続く。
今日一日の予定、最近街で流行っているもの、始末書を書かなくてはならなくなってしまった経緯、夕飯に食べたいもの・・・。
アスランは苦笑した。
聴こえてくる声は、男性のものが二つ。
(随分とお喋りな男がいるもんだな・・・)
ここに、元首専属のSPがいる事に気付いていないのだろうか。


彼の目の前には、全長三メートルの大理石の扉がある。
頂点には、美しい獅子を象ったレリーフがあしらえており、乳褐色の取っ手にも、獅子の牙を思わせる模様が掘り込まれていた。
美しいが、厳しい。
アスランは首を竦めた。
(まるで、ウズミ様のようだな。どうにもこの扉には、気圧されてならない)
オーブ戦の折、マスドライバーを連合の手に渡さぬよう、自らの命をも懸けて爆破した、オーブの獅子。
彼は、紛れもなく後世に名を残す為政者となろう。

あの強く気高い目を思い出すと、アスランの口元は自嘲気味に歪んだ。
赤いサングラスが視界を血の色に染める。


(・・・とても敵わない)



アスランは目を伏せ、何の気もなしに再び使用人達の声に耳を傾けた。
「まったく、官邸にコーディネーターを引き入れるなんて。代表は何をお考えなのやら」
途端に耳に入る、呆れた声。
アスランは目を開いた。
「でも、結構使えるみたいだぜ」
続いて哂いを含んだ声が響き、
「ふん、そんなの遺伝子操作したからだろう?何の価値があるのさ」
耳に障る粘着質の声が、吐き捨てる様に言った。


アスランは拳を握り締めた。
(お前達の物差しで俺の価値を計るな・・・!)
胸がキリキリと痛む。
彼女と出会ってから、久しく忘れていた感情を、彼は彼女の国で味わう事となっていた。


サングラスに黒味がかった髪がさらりと落ちる。
視界に広がる赤は、彼を更に陰鬱な気持ちに引きずり込んでいく。



代表就任の日、アスランはカガリと共に壇上に立った。
彼は必死に拒んだが、新代表となった彼女が共に第一歩を刻もう、と強請ったのだ。
その彼女の気持ちに戸惑いと、喜びを感じた。

だから、壇上に向かう時、アスランは気づかなかった。

自分達を見る、オーブ官僚の目に。

ある者は、奇異なものを見る眼差しで。
ある者は、敵意と侮蔑を込めた目で。

ある者は、憎悪を湛えた瞳で。



気付いたのは、壇上を降りた時。
翌日、レドニル・キサカ一佐に赤いサングラスを手渡された。


「君がザラだと知れたら、厄介な事になるのでな」
彼は淡々と言った。
「ただでさえ、コーディネーターという事で皆ピリピリしているのだ。君を護衛にした事で、代表にも非難の目が向けられている」


心の中で、何かがストンと落ちる音がした。


じわじわと冷たい汗が滲み出てくる。
「カ、カガリにも・・・?!そんな・・俺がいるからですか?」
「当然だ」
キサカはバッサリと斬って捨てた。
「君と共に宇宙に上がった私は、君の善良な人間性もよく解っている。
もとよりオーブの、ひいてはウズミ様の御意志のもと、私は君らコーディネーターを差別などしない。
だが、オーブにはそう思わない者も多くいるのだ」
言葉を失くす翡翠の瞳を、キサカをまるで試すように覗き込んだ。


「君達は最も困難な道を選んだ。まだ代表はよく解っていないようだが・・・・君はもう理解したな?」
翡翠が揺れる。

「彼らを納得させるのは容易い事ではない。出来るか?アレックス・ディノ」
臆しているのではなく、決意の炎を宿して。


「仕事をこなします。
官僚達を黙らせる程に完璧に」


「なにより、カガリの為に」




あの日、彼女はオーブ国民の大喝采を受けた。
その姿を見つめ、彼は自分の生きる希望である彼女が、等しくオーブ国民の生きる希望なのだと気付いた。



重々しい扉の奥にいるであろう、彼女を思い浮かべる。

きっと、閣議が長引いているのだろう。
そして今日もまた、彼女は戦い疲れた身体で眠れぬ夜を過ごすのだろう。
瞳を涙に濡らして。

彼女が最近、元気が無いのは気付いている。


だが、彼はどうすればいいのか解らない。
(きっと、俺の事で何か言われているに違いない)
(俺はもっとしっかりしなければ・・・)

だが、どうやって?
彼は自分に問う。
ここにある自分の仕事は、彼女の身辺警護。
賊が侵入、攻撃さえしてこなければ、特にする事はない。
いや、そんな物騒な事態は勿論御免ではあるのだが。

たとえば、今の自分では
この扉をくぐり、彼女と共に戦う事すら出来ない。

(それは、彼女の周りに他の優秀な部下がいる時は、俺は不要だという事だ)


ただ傍にいる事にも制約が課せられる。
誰もいない場所でのみ、誰に憚る事なく、唯一傍で寄り添える。
まるで恋人、もしくは兄妹のように?


そこまで思って、アスランは笑った。
(・・・違う。俺達は国家代表と護衛だ)


ならば、もっとしっかりと。
だが、その定義は何だ?


答えは見つからぬまま、ただ与えられた仕事を完璧にこなす。
(俺は、ただこうして彼女の傍にいる)
(オーブで生きていく為に)
翡翠は未だ翳ったまま、彼はその瞳を再び閉じた。

遠くで使用人達のお喋りが続いている。


ただ、彼女に早く会いたいと願った。






2007.2.13

開設時に書いていたらしいお話。
二人とも生真面目で強過ぎるから、すれ違うんだと思う。

久世夜子