漆黒の天高く、星々は姿を隠し、月は確かにそこにある。


『月の船 ―仄明かり―』


青白い砂浜に縁取られた海が、波を寄せては返す。
水平線はどこまでも遠く、闇に呑まれて見えない。
仄暗い雲の合間から、時折顔を出す月の明かりと小さなポケットライトを頼りに、
二人は黙々と歩いた。

「ここまで暗いと、月夜といえど怖いものがあるわね」
ルナマリアが腕を組み、白光りする満月を眺めながら言った。
「やっぱり、もっとおっきなライト持ってきた方が良かったんじゃない?」
「これくらいなんだよ。俺は全然平気だぜ。怖いなら、ルナは家で待ってたら良かったのに」
「なに言ってるのよ。月夜の散歩も、シン一人じゃ寂しいだろうなー!って私の思いやりじゃないの」
隣で呆れたような目を向けるシンに、拗ねたように口を尖らす。
「・・・言っておくけど、何も奢らないぞ」
「えええ〜っ!なんでぇ?行きにあるパン屋さん、24時間営業でとっても美味しいのにっ!」
「・・・ルナ、いっつもどっか出掛ける度に、なんだかんだとたかる癖直せよな!」

その時、ふいに月が翳り、闇が落ちた。
ルナマリアは思わず、ばっと、シンの傍に駆け寄る。
シンは苦笑した。
「・・・やっぱ怖いんじゃないか」
「うううるさいなっ。夜の海なんて、初めて見るんだから仕方ないじゃないっ!」
ルナマリアは、海の方を見て声を震わせた。
「昼間の海は、真っ青でなんて綺麗なんだろうって思ったけど・・・夜は真っ黒で、本当に不気味なのね」
きゅっとしがみ付いて来る女の背をポンポンッと叩く。

(ザフトにいた頃は、ルナがこんなに怖がりなんて思いもしなかったな)
いつも先頭に立って、自分やレイを引っ張っていった。
明るく、強く、勇ましい女。
でも、ひょっとしたらあれは、男だらけの軍部で女である事を嘗められない為に、必死で張っていた虚勢だったのかもしれない。
それが、今ではこうして自分に弱さを見せ、甘えてくる。

その事がとても嬉しい。

「どっちも同じ海なのに、不思議よね?」
暫く黙っていたかと思うと、ふいに、ルナマリアが無邪気な目を向けた。
「太陽の下じゃ、キラキラ光り輝いて、青くて、広くて、すごく綺麗。
暗闇の下じゃ、真っ黒で、深くて、飲み込まれそうで怖い」
ややあって、
「これが、本当の海の姿だろ」
シンが無表情に答えた。

光を浴びれば、どんなものでも輝いてみえるものだ。
海も、森も、花も、石も。

(・・・・・例えば、マユ達の眠るあの慰霊碑さえも)


だが、
姿が輝いているからといって、その内まで輝いているとは思わない。
輝かされてるだけだ。
そう見えるようにされているだけなのだ。
彼らは望んで逝ったわけではない。
自らの死は痛くて、苦しくて、悲しかった筈だ。


光の奥に影がある。
心の底に刃がある。
笑顔の裏に涙がある。

英雄だったアスランも。
戦争を終結させたキラ・ヤマトも。
花のように可憐だったステラも。
誰よりも議長に忠実だったレイも。
幸せの国だったオーブも。

(・・・・・・・・その象徴だった、あの女も)


モビルスーツ、連合との軍事同盟、セイランとの結婚。

いつも平和を夢見て、いつも前を向いていた。
その琥珀に僅かな不安と涙を宿らせて。

(――――カガリ・ユラ・アスハ・・・・)


今はもう、その事実を憎んでいるわけではないけれど。
(・・・あの光は全部ニセモノさ)

「暗闇の中での姿こそ、そいつの本当の姿だ。
だから、もし、光の無い世界で光っているものがあれば、そいつは多分、本当に本物なんだ」


「ふぅん・・・?」
ルナマリアは、考え込むように首を傾げ、
おもむろにポケットライトの光を顎の下から当て、暗闇の中、ぬぅっと顔を青白く照らした。
「こんな感じ?」
「ぶっ・・・!!なにやってんだよ!ルナ!!」
思いっきり噴き出すシンに、
「あははっ、ウケた?」
面白そうにケタケタとルナは笑ってみせた。
「ね?私は本物?」
「なーに言ってんだよ!自分で照らしてんじゃ駄目なの!」
「えぇ〜!」
顔を付き合わせて、ひとしきり笑う。
月が再び顔を出し、二人を照らし始めた。

(・・・やっぱり、ルナはいい)
シンは心が暖かくなるのを感じた。

戦争が終わって、二人でオーブに移り住み、
キラ・ヤマトと会って、アスランと話して、彼女は妹と再会して。
それからずっと、二人は小さな家で寄り添いながら過ごした。

深い傷を癒すように。
独りきりの朝を迎えないように。

シンは笑う。
この紅蓮の少女は、自分を決して一人にはしないのだ。
自分が悪夢に魘されれば、優しく抱きしめ子守唄を歌い、安らかな眠りへと誘う。
死んだ者を思い、どうしようもない気持ちに苛まれて蹲れば、その背に寄り添い、ただ静かに男の涙が止まるのを待った。

彼女に対する感謝は、言葉ではとても言い表せなかった。
それが、愛情かどうかは曖昧だったけれど。
・・・・脳裏に落ちる金の影を、忘れる事は出来なかったけれど。

シンは、ルナマリアがじっと自分を凝視している事に気付く。
「・・・どうした?ルナ」
首を傾げて問えば、
「・・・ううん、なんでもないの」
いつもの通りの笑顔を見せる。
「シンの言う本物の光って、どんなのだろうなぁって思っただけ」
ほんの少し、寂しげな瞳で。


漆黒の空の下、海辺には男女二人が座り込んでいた。
「ねぇ、シン。私達、ずっと一緒にいられるよね?」
ルナマリアが、シンの肩にこつんと頭を乗せ、
「・・・ううん。ずっと一緒にいようね」
縋るように言った。
シンは眉を顰めて、首を傾げ、
「当たり前だろ?」
困ったように笑った。

(・・・ああ、まただ)
ルナマリアは、眉を歪めた。
こうして傍にいても、傍にいようと言っていても、
心に不安が残るのはどうしてだろう?
彼の笑顔の奥に、どこか踏み込めない闇を感じる。

(そう・・・シンはきっと気付いてない)


彼の周囲の空気は、いつも淀んでいるように感じる。
以前の憎しみでギラギラとした、核弾頭のような危うい空気は影を潜め、代わりに得体の知れない何かが横たわっているような。
ずっとずっと彼に纏わり付き、確実に浸透している、何か。
本人ですら気付かない仄暗さで。
(・・・・・・・悲しみ?
戦争で負った傷?
・・・・・・・・・・・・・忘れられない何かがあるの?)

いつもいつも、彼女は彼の周囲に風を吹かせたいと願っている。
夢を見た朝。
涙に暮れる夜。
自分と共にいれば、彼の淀んだ心は澄んでいくと。

だが、そうではない・・・そうではないのだ。
彼は彼女を心配させない為に、己の心に蓋をしている。

(・・・・風通しを悪くさせているのは、私だ・・・)


その証に、
彼はこの国に来てから、自分の前で一度もアスハの名を口にしない。
故意か、無意識か。
どちらにせよ、この男にとって、脳内で無視出来るような軽い対象ではない筈だ。
なにせ、とルナマリアは思う。

(絶望と失望と・・・・・・・・希望を与えたひとだ)

だからこそ、彼の周囲の空気が淀む時は。
そして、それが澄む時は。


ルナマリアが望む風は。
深紅に淀む空気の中、唯一そこに吹く風は。

夢に落ちる瞬間。
目覚める寸前。
彼が夢うつつにその名を零す、かの姫――――・・・・。。


それがルナマリアには辛かった。
「・・・私が居るよ。どうして私じゃ駄目なの?」
あまりに小さな声に、戸惑う深紅の瞳は、
「ルナ?なんて言ったんだ?」
「・・・なんか寒くなっちゃったって言ったの!一足先に家に帰ってるね!」
そう言って駆け出した少女の後姿に、あっけに取られたように瞬いた。
頼りないポケットライトを持っていかれながら。

ルナマリアは、走りながら視界の端に金色の月を見て、
思わず足を止めた。
きゅっと唇を噛み締めると、再び走り出す。
瞳に強い光を宿して。




月の仄明かりが、どこまでも彼女に降り注いでいた。

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