焦がれたものは。
『月の船 ―心の月―』
シンは堪らずカガリを抱き寄せた。
小さな身体が硬直したのがわかったが、構わず強く力を込める。
「・・・うそだろぉ・・・?」
肩の辺りから聞こえる震えた声に、カガリはうろたえた。
「シン・・・?」
首を回し、男の顔を覗き込んで目を見開く。
シンは笑っていたのだ。
「・・・・・なんで笑ってるんだよ?!」
カガリは憮然とした。
泣いたり笑ったり、こいつは一体なんなんだ。
(・・・・・・・・・・・ってまさか・・・・・・・・・・・・・・)
ふと思い立って、カガリは背に冷たい汗が流れるのを感じた。
ひょっとして、自分は物凄い思い違いをしたのではないだろうか。
シンの言おうとした言葉の続きは、別に自分が礼を言うべき内容でも、詫びるべき内容でもなくて、
「俺はあんたが指輪なんてびっくりだな」とか、「俺はあんたが男に見える」とか。
いや、たしかその前に忘れるとか忘れるなとかそんな話をしてたから、
「俺はあんたが痴呆症だとばかり」だったのかもしれない。
(くっ・・・!!
腹立たしい上に恥ずかしい!!
それじゃ私は、とんでもない勘違い女じゃないか・・・・・!!!)
「シン!お前、紛らわしい言い方するなぁ!!!」
真っ赤な顔で喚くカガリに、シンは漸く笑いを引っ込め、目線を下ろした。
「・・・・・アスハ」
自分でも驚く程の穏やかな声が出る。
案の定、カガリはビタリッと動きを止めた。
心の底で燻ぶっていた火が消えていく。
きっと今自分は、とても静かな顔をしているだろう。
ゆっくりと口を開いた。
「俺があんたを守る」
カガリの口がぱかりと開く。
その間抜けな顔を眺めながら、
「あんた隙だらけだしな。
しょうがないから、俺がこれからは護衛してやってもいいぞ」
傲慢に言ってのけた。
「なんせ、こんな夜更けに一人で家から抜け出してくるようなヤツだし?
てゆーか、あんた程度に撒かれるようじゃ、今の護衛はとんだヘボとみたぜ。
俺ならそんなヘマはしない」
「なっ・・・」
聞き捨てならない言葉に、カガリは漸く我に返った。
「ヘ、ヘボだなんて・・・!!私が撒き上手ってだけだ!!
あいつらに失礼だぞ!お前!!」
あいつらというのは護衛官の事か。
シンは首を傾げる。
「あんたが上手?どヘボ確定だな」
「失礼だって言ってるだろうが!!
そっ、それにっ!
抜け出すくらい、とやかく言われる筋合いはないぞ!?
公務はちゃんとこなしているし!!
それにそれにっ・・!!
息抜きの時くらい、一人で気楽に休みたいんだよ!!」
シンは片眉を上げた。
「へぇぇ?
じゃ、今の護衛官はあんたにとって気詰まりする存在ってわけだ」
カガリはぐっと言葉に詰まった。
図星だったからだ。
「疲れないのか?そんなヤツに四六時中傍にいられて。
もつのか?そんなんでこの先ずっと」
シンは更に言い募る。
「それとも他にアテでもあるのか?
俺以上のヤツがオーブにいるのか?
腕が立って、あんたが自然体でいられるヤツが?」
カガリは言葉を捜して、目を彷徨わせる。
シンは半目になって、
「・・・まさかいつまでも、何かある度にキラ・ヤマトに助けて貰うつもりじゃないだろうな?
民間人に戻った弟にさ」
言いながらも確信している。
そんな事は起こり得ない。
向こうからこちらに手を差し伸べる事はあっても、彼女は自分から人の力に縋る人間ではない。
それが彼女の強さであり脆さなのだ。
だが、そうと解っていても確かめておかねばならぬ事がある。
「評議会入りしたラクス・クラインに連絡でも取るか?
それとも・・・・」
項垂れていく金の頭を、強い目で見下ろす。
「アスランに駆けつけて貰うのか?」
瞬間、琥珀の目がカッと見開かれ、シンを睨み上げた。
「するか!!そんな事!!
アスランには・・・・いや、キラ達にももう二度と私の事で心配なぞかけん!!」
大きく首を左右に振り、叫ぶ。
まるで必死に言い聞かせているようだ。
シンはその小さな頭に、宥めるように手を置いた。
目線を合わせ、ゆっくりと囁く。
「それならいいさ」
捨てて捨てて、捨て続けた女。
それでも想いだけは捨てきれなかった女。
夢を捨てても、愛だけは決して。
それが、自分が追い続けた女の姿だ。
だがそれなら、これからは。
「もう何も捨てなくていい。
俺があんたごと守ってやるから。
夢も、願いも。
だから、あの人の事も――・・・・」
声が震えて途切れた。
カガリはシンの急激な変化に、探るようにその瞳を見つめた。
シンは大きく息を吸い込んで、重く噛み締めるように吐き出した。
「アスランとの未来も、ずっと夢見てたらいい」
琥珀が大きく見開かれた。
シンはそれを正面から受け止める。
「人に希望を与える側の人間が、隠れて誰にも知られない場所で泣くなんて許さない。
自分の幸せを諦めてるなんて認めない」
「シ、シン・・・・!」
「俺なら・・・・夢を捨てたりしない。
たとえ好きな相手がどこか遠くに行ったとしても。
たとえ俺の事を同じように好きじゃなくても。
たとえ望みが少なくても、
俺は絶望なんてするつもりはない」
夢を叶える者は、決して自ら夢を諦めたりはしない。
潔さなど捨ててやる。
地べたを這いずってでも叶えてみせる。
何十年費やそうとも、ずっと手を伸ばし続ける。
そこに、叶えたい夢があるならば。
強さを手にしなければ進めない。
「泣くぐらいなら足掻いてみせろ!!
国も男も両方手に入れろ!!
カガリ・ユラ・アスハ!!!」
カガリは頭を強く殴られたような衝撃を受けた。
誰もこんな事言わなかった。
お父様も、キサカも、キラも、ラクスも、アスランも、誰も。
幸せにしようと思ってはくれても、やはり自分は国を預かる者だったから。
どうしても皆が私に、皆を幸せにするように求めた。
初めてだった。
こんな風にあっさりと、いっそ単純に言いのけられたのは。
カガリは、間近にあるシンの顔を凝視する。
彼の方は、中途半端に膝を立たせたままのカガリを眺めていた。
暫くそのまま二人とも動かなかったが、流石に異様さを感じてシンが口を開いた。
「・・・・・・・おい、聞いてるのか?」
「え、あ、うん」
なんとも気の抜けた返事が返る。
シンは眉根を寄せた。
(・・・まさか、ここまで言って断られるなんて事ないよな・・・)
若干不安になりつつも、そんな様子を億尾にも出さず踏ん反り返って言い放つ。
「おらおらどーなんだ!!
雇うか雇わないか、白黒はっきりつけやがれ!!」
「・・・・・・・・やがれってお前・・・・・」
カガリは溜息を付いた。
その瞬間、視界の端でシンが揺れたような気がしたが、気にしない事にする。
(アスラン・・・)
指輪を見る。
シンの眉間にぴっきりと皺が入るのが、今度は確実に見えた。
(アスランとは道を間違えた。
大切にしたかったのに傷付けた。
幸せにしたかったのに縛り付けた。
また、苦しませる時が来るかもしれないと思ったら、とても傍にいられなかった。
忘れる日ははないけど、もう一緒の未来は望まない・・・・
そう思ってた。
なのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・このバカ)
「ああっ!!もうっ!!」
カガリは頭をガシガシと掻いた。
シンがぎょっとする。
「まったく!軽く言ってくれるよな!!」
「はぁ?」
「大体なんだ!?
お前に喝を入れられるだなんて夢にも思わなかったぞ!?
私もモーロクしたもんだ・・・あ〜あ!!」
年寄りじみた台詞を吐いて、息をひとつ。
「・・・・・どこのババァだ、あんたは・・・」
この男となら間違えない気がする。
かつての恋人よりは実直で、忍耐力がない。
苦しい時は苦しいと訴えるだろう。
自分を犠牲にはしないだろう。
主を犠牲にもさせないだろう。
(それに、私が道を間違えたら即修正しそうだ)
己の琥珀が優しく笑んでいる事に、カガリは気付かなかった。
「―――ありがとう。これからよろしくな」
シンの赤い目がどんぐりのように丸くなってから、徐々にはにかんでいく様はまるで子供のようだった。
カガリは心が温かくなるのを感じる。
白金の月が雲間から抜け出し、辺りにサラサラと光を落としていく。
二人の肌に。髪に。服に。瞳に。
「お前、月の光でキラキラして綺麗だな」
カガリがシンの黒髪を見つめて笑った。
「まるで、闇夜に星が煌めいてるみたいだ」
無邪気に笑う琥珀をシンは愛し気に見つめた。
「・・・それならあんたは月そのものだよ」
そんな風に無防備に笑われたら、自分は何も言えなくなる。
この狂おしい程の愛も。
叶えたい夢も。
だが、それでいい。
(護ろう、この女を)
光の奥に影がある。
心の底に刃がある。
笑顔の裏に涙がある。
そして、闇の中に光がある。
絶望などしてやらない。
(はっきりさせるのはまだ先でいい)
二人は並んで歩き出す。
とりあえず向かう先はオーブ官邸―――
「あっ、そうだ!ルナマリアも誘おう!」
ではなく、シンのアパートへ。
「は?」
「だって、お前が私の護衛となると、あの娘一日中ほとんど一人になっちゃうだろ?
彼女さえよければ、二人で勤めてくれてもいいんだが」
「・・・・あ――・・・・」
はっきりさせるのは先でいいのだが。
「・・・・一緒に伝えにいくか」
「うん!」
本当に当分先の事になりそうだ。
シンはこっそり溜息をついた。
その後、誘われた当人が「逆境バンザイ・・・!」と引き攣った笑いをする事を二人はまだ知らない。
三者三様。
未来はまるで先の見えない夜のよう。
それでも、月は確かにそこにある。
end
4.15.
久世 夜子
望みさえあれば生きていける。