この心を癒すには絶対的に何かが足りないけれど。


『B・10』



金の髪に琥珀色の瞳。
夕陽の赤によく映える色合わせだなぁ・・・と呑気に考えながら、アスランは目の前に立つカガリを眺めた。
女の纏う雰囲気が変わった事には気付いていた。
登校時にには牙を剥いて挑んできた幼い教師。
自分の立場も相手の立場も何も考えていない行動に、そのきっかけとなった自分の所業は棚に上げ、無知さと稚拙さを感じた。

「・・・早く教えろよ。アスラン」
咽喉に引っ掛かったような緊張した声が響く。
しかし、一歩としてアスランに近付こうとする気配は無かった。

山猫じみた気迫は今はなりを潜めている。

多分、アスランにはその理由にも検討がついていた。
口元を柔らかく吊り上げる。
この男は汚い事を考えれば考える程、綺麗な笑顔になる。
ゆっくりゆっくりと歩み寄れば、カガリはその華奢な身体を僅かに強張らせ、身構えた。

(まるで、捕食者の気分だな)
前方から流れ出す緊張感が膨れ上がる様に、至極愉快な気分になる。


「怖い?俺が」
問えば、カガリはきっと眉根を寄せた。
アスラン以外の者が見れば、不機嫌な表情に見えたかもしれない。
「・・・・誰が、誰をだって?」
ややあって、低く硬い声が返った。
「俺が怖い?」
問いには答えず、繰り返す。
教師の口元が強く戦慄き、だけれど、その隙間から言葉が発せられる事は無かった。

此方を必死に睨み上げるその瞳は、手負いの獣が怯えを隠し威嚇する様によく似ている。
―――蒼白な顔色が笑えた。


更に歩を進め、カガリの前に立った。
「じゃあ、質問を変えようかな。さっき授業で言ってたのって本気?」
「え?」
「本性を曝け出してこそってやつ」
「・・・・ああ。それか。本気だけどそれが何だ?」

あからさまに肩の力を抜く目の前の女を柔らかな翡翠が見つめ、


「あんたは馬鹿だな」
吐き捨てた。


「人は本心を隠し仮面を被ろうとする生き物だよ。
あの場では盛り上がってたけど、どうかな。
彼等は心を曝け出せないと思うよ。しかも無報酬じゃね」


カガリは目を吊り上げた。
「そんな事思ってるお前が馬鹿だ。彼らにはきっと伝わってるさ」
「何が伝わってるの?あんたみたいな強がりなだけの人から?」

「・・・なに?」

「はは。気付いてないなら言ってあげようか、新米先生」

アスランが明るい声で言った。
「あんたは笑うか泣くか怒るしか出来ないくせに、プライドだけは一人前の子供だよ」



辛辣な言葉に、カガリは唖然として言葉が出なかった。
しかし、徐々にその意味を理解し顔を怒りで真っ赤にし、拳を震わせる。

「だっ・・・誰が何だと?!ニコニコ笑って猫被って周りを騙くらかしてるお前に比べりゃ、そりゃ笑いも泣きも怒りもするだろうがな!
自分の気持ちに正直に生きてるだけだ!!」
「・・・・よく言う」
せせら笑う。

「自分に正直なだけの奴なら、俺になんか虚勢も張らないと思うけどね」



カガリの顔が強張った。

背中を一筋の汗が伝う。
風が藍色の髪を拭き乱し、アスランの表情は分からない。
ただ、ひやりと気温が下がった気がした。


「・・・そもそも、皆が皆本心剥き出しで生きてたら諍いしか起きないとは思わないのか?
仮面を付けて和を結んでるから、世界は回る。世を上手く渡っていけるんだよ」
独り言のようにアスランが呟く。

「仮面は理性だ。
あんたは教師であるが故に、生徒である俺にみくびられるもんかと必死に本心を隠してる。・・・本能を抑えてる。
あんたも仮面を被ってるんだよ。
なのに、皆には本能剥き出しの獣になれって言うの?

自分はなれないくせに。勝手だな」



―――咽喉が渇く。
口が、重い。

息がからまって、上手く呼吸が出来ない。



「ち、がう・・・!そんな、そんな風に言ってない・・・!私が言ってるのは・・・!」
「私が言ってるのは?」
アスランの声は平坦で、真剣だった。
カガリはふと違和感を感じる。
少年の顔から、いつもの笑みが消えていた。
女の戸惑いを知ってか知らずか、アスランはさらに言葉を続けた。

「他人の本心を開き出したいなら、まずあんたが本音を話せよ。先生」


悔しさで息が詰まりそうだった。
カガリは顔が強張らないようにすることに最大の努力を払う。
彼の口が発する言葉の意味を、もう気付いてしまったから。


(・・・怖いと言え、と?)
己を襲った本人相手に弱さを曝け出してみせろ、と。


カガリは俯き、唇を強く噛み締める。
瞳の奥が熱く燃える気がした。


認めたくないのに、この男はそれを許さない。



一方、アスランは下を向いたままのカガリを、表情を変えずに見詰めていた。

逃げたいだろうに決して逃げない、意地っ張りともいえる気丈な女に好感さえ覚える。
だけれど。

(初めて見た時から思ってた。
どうすれば、この女の顔が欲にまみれて歪むのだろうと)

―――この身を焦がす、どうしようもない破壊衝動。

女達は愛らしく、柔らかく、暖かい。
そして、この心を癒すには絶対的に何かが足りないけれど。

征服欲だけは確実に満たしてくれる。


それが自分がビーを続ける理由なのだと言ったら、どんな顔を見せてくれるだろうか。



風が熱を帯び始めた。
赤い空が迫ってくる。
鳥の鳴き声がただ響く。

静かに、静かに。

一陣の風が黄金色の髪を巻き上げ、轟という音とともに、すべてを運んだ。


「・・・こわい・・・」


ぽつりと。だが、はっきりと。

「・・・わい・・・こわい怖いっ!怖いさっ!!
どうしてそう酷い事ばっか言えるんだ!?虚勢だって!?
当たり前じゃないか!!
あんな目に遭わされて、綺麗サッパリ忘れられるほど器用な神経なんて持ち合わせちゃいないさ!!
ほんとは怖くて仕方ないんだ!!
虚勢張らなくちゃ立ってられないんだ!!

満足かよバカヤロウ!!」


悲痛と怒りと癇癪を混ぜたような声で、カガリは叫んだ。

「足は竦むし、心臓は煩いし、後でへたれ込む事になるかもな!?
また猪突だけ繰り返してるって事もわかってる!全部わかってるんだ!!
だけど・・・っ!!

それでも逃げたくない・・・!!お前から!!」


怯える自分から。
傷が癒えるまでずっと。

一人前の教師になるまで、ずっと。


「プライドだってんなら、ここまでがプライドだ!!
私の事なんか何も解ってないくせに、見透かしたように言うな!!」

一息に言ってカガリは自らの袖でごしごしと目元を拭いた。








「・・・・・・・・・・・・・・ふぅん」

冷たい声だった。



アスランは、ただカガリを見つめていた。
仮面のように表情を変えず、ただ此方の話に聞き入っていた――ように見えた。

だが、その瞳に宿る光が初めて見るような険しさを伴っていくのがカガリには分かった。
貼り付けた笑顔がどこか引き攣っている、ような。

「凄いな。あんた」


ふいにカガリの耳元に唇を寄せ、吐息混じりに囁いた。
琥珀が一瞬大きく見開かれ、しかし、すぐに強い光を放った。

渾身の力で放たれた拳は、男の頬に当たる前にその指に絡め取られる。
瞬時に繰り出すもう片方の拳も、やはり同様の結末を迎え、カガリは唇を噛んだ。
「・・・放せ」
「いきなり殴り掛かってきた奴が言えるセリフじゃないな」
「先に仕掛けてきたのはそっちだろう!?くそっ・・・もういい!!
とにかくお前は早くビーをやってる理由を言って、この邪魔な手を放せばいいんだよ!!」
「怒りっぽいよね、本当に。カルシウム足りてないんじゃないか?」
「私の話を聞け―!!」
「それに喧嘩っぱやいし。だけど、知ってるよ・・・?」

至近距離でカガリの目を覗き込み、顔に息が掛かるようにゆっくりと言った。


「あんたの泣きっ面」


恋人に秘密を囁くような声の甘さに肌が粟立つ。
「気を失っちゃうくらいヤワって事もな」



背筋に汗が流れた。
「・・・おい・・・」
「そうそう、理由教えるんだったっけ。
先生、頑張って心開いてくれたしね。はは」

そして、再び明るく笑う。


「・・・・ほんとむかつくくらい」




吐き出される言葉の内容と、見た事の無いほど屈託の無い笑いに、警鐘が胸を揺らす。
ふいに、カガリは気づいた。
雰囲気で騙されていたがアスランの瞳は全く笑っていなかった。

まるで空洞のように、虚ろ。


背筋がぞくりと冷えた。


カガリが口を開くより先に、カガリの柔らかな両脚の間に少年の長い脚が潜り込んだ。
息を呑む間も無く、少年はそのまま己の膝をカガリの股に押し付ける。
「あ・・・っ!?」
身体の芯に走る、未痛みと正体不明の電流に高い声が上がった。

アスランが、グリグリと膝小僧で「そこ」を弄る。
「はっ・・・んぁぁっ!!」
首を左右に振り、逸らされた白い咽喉元をアスランはペロリと嘗め上げた。
引き攣るカガリの細い両手を片手で一纏めにする。

「やめ・・・ろ・・・ふ、ぁ・・・っ」
非難は意図的に耳に吹き込まれる息によって、弱々しい声に変えられる。
威勢を根こそぎ奪われるような感覚に、カガリは慄いた。



風が熱を帯び始める。
赤い空が迫ってくる。
鳥の鳴き声がただ響く。


「壊し甲斐があるよ」


そして、低いテノールが鼓膜に届いた。



next