剥がしたくて暴きたくて破壊したくて支配したくて―――――――けれど、何故?
『B・12』
焦点の未だ合わない琥珀の瞳を眺め下ろす。
このまま更に攻め立てようか。
それとも、正気に戻ってから再開しようか。
暫く考えてから、アスランは後者に決めた。
ゆっくり立ち上がり離れたコンクリートの石段に腰を下ろす。
その位置から再びカガリを眺めようと顔を上げ、その翡翠が強張った。
(・・・・・なぜ)
アスランは気付く。
今の今まで情欲に濡れていた気配が、もうカガリからは微塵も感じられない。
―――耳鳴りが、した。
どれ程の時が経ったのか。
霞がかっていた視界が鮮明になるにつれ、カガリは徐々に思考を取り戻していった。
緩慢な動きで肘を地に付け、上体を起こす。
まず視界に赤い夕焼けが入った。
少し藍色が加わっただろうか。
そういえば、今は何時なのだろう。
次に肌蹴た己の身なり。
スカートは捲れていないものの、ブラウスのボタンは総て弾け飛んでいる。
下着は胸の上にずり上げられていて、思わずガバッと両手で隠せば、中途半端に起き上がり掛けていた上体はそのまま元の位置に倒れこみ、
ゴィーンッ!
豪快に床に頭を強打した。
・・・お陰で一気に意識が覚醒したが。
途端、頭上後方で湧く笑い声に勢い良く振り返れば、最後に視界に入ったのは、少し離れた距離に座る少年だった。
アスランは翡翠の瞳を人懐こそうに細めた。
「初めてイッた感想は?」
泣きたくなるようなその羞恥。
腸が煮えくり返るような怒り。
カガリは震える声で唸った。
「・・・どうしてくれる・・・!一瞬記憶が飛んだぞ・・・っ!!」
アスランが目を丸くし、数瞬後、爆発したように笑い出した。
「あはははっ・・・なんだそれ!」
何が可笑しい。
カガリは涙目でギロリとアスランを睨み付ける。
此方は生きた心地がしなかったというのに。
途中から強制的な浮遊感に襲われ、自分が何なのかすら解らなくなった。
不快なのに身体は無駄に熱くて。
解放されたくて、だがどうしたら良いか解らず。
ただ、咽喉から出る喘ぎに其れを乗せ、責め苦に耐えていたというのに。
己のあんな声を自分は知らない。
髪を振り乱し泣く自分など。
カガリはきつく唇を噛み締めた。
「・・・泣いてるのか?」
「うるさい!話しかけるな!この人でなし!!」
此方に気付いたアスランに、漸く笑い終えたのかと目元を乱暴に拭い叫ぶ。
「こっちは真剣なのに!このカス!クズ!ゴミ!」
「・・・・・・・・・・・・・・教師としてどうかと思うぞ。その言動は」
「うるさい!鬼!悪魔!腐ったミカン〜〜〜〜っっ!!!」
アスランは呆れた笑い声を上げたが、その余裕の態度とは裏腹に目は何かを探るように鋭くカガリを観察していた。
カガリは俯き、震える声で呻いた。
「・・・バカヤロウっ・・・まともになれよ・・・!!」
鉄箱の上、琥珀から零れた涙だけがただ赤く染まる床に落ちる。
―――アスランは困惑していた。
耳鳴りが止まらない。
(・・・なぜ・・・?)
横たわるべきは獣である筈だった。
眉根を寄せ、瞳を潤わせ、物欲しげに腰を揺らす獣である筈だったのに。
(なぜ?)
今までの女生徒なら、腰も心もすぐ砕けて、己の虜になっていたのだ。
そもそも、自分と二人きりの空間で、しかも事後に未だに牙を剥くとは。
しかも、あの目。
恐らく更生を諦めていない。
(俺はあの時、汚れたのに)
脳裏に浮かぶ、白い天井。
青い絨毯。
黒い髪。
そして窓越しに見えた赤。
それは遠い過去。
けれど鮮明な幻。
(なんで今更思い出す・・・!)
その記憶が強く知らせるものを、恐らく自分は知っている。
あの流れる涙が、快感からだけのものではない事を。
(・・・悔し涙、だ)
相手に決して許しを請わない。
屈しない。
身体は許しても心だけは許さない。
翡翠が伏せられ、睫毛が肌に影を落とした。
(俺は――――知ってる)
小さく舌打ちしたのが聞こえたのかもしれない。
カガリが此方を驚いたように見上げた。
その無防備な表情に苛立ちが湧いた。
(そうだ・・・汚れないなら、いっそ汚れるまで・・・!)
アスランは目をぎらりと光らせると、ぎょっとするカガリに二歩で間を詰め、その両手を再び拘束した。
「先生、身体は熱くないか?物足りないならもっとイカせてあげてもいいよ」
カガリは身体を硬直させたが、みるみる顔を真っ赤にさせ怒鳴った。
「熱くない!満ち足りてるさ!私をオモチャにして遊ぶな!!!!」
人で、遊ぶな。
カガリは涙声で叫ぶ。
アスランは呆然とした表情でカガリを見詰めていた。
ただ、じっと。
そして、感じた。
自分の口元がゆるゆると笑みの形を浮かべるのを。
何故だろう。
いつから自分は、こんなにも空っぽの笑顔を浮かべる事が容易く出来るようになってしまったのだろう。
「・・・・・・・・・・・幼少の頃から世話になってる優しい家政婦がいた」
琥珀が見開れた。
「母の顔を知らない俺にとっては、母代わりみたいなものでね。
だけど、14の夏・・・いや、秋だったかな。
10も違う彼女が泣いて喚いたんだ。
・・・なんだったと思う?」
急な展開についていけず、カガリは困惑した声で答えた。
「し、知るわけないじゃないか、そんなの――――」
「貴女と擬似家族するのは、もう辛過ぎるって言われたのさ。
俺を男として好きになったんだと」
口元だけは完璧な作り笑い。
遠くで鳥が鳴いた。
カガリはポカンとしていたが、少しずつ話を飲み込むと目線を泳がせ、しかし口元をぎゅっと引き締め平静を装った。
「・・・し、少年趣味か。
お前には不運だったな・・・・でも、嗜好は人それぞれだから仕方ないともいえるぞ。
犯罪さえ起こさなければ個人の自由・・・・」
「あんたらしくない物言いだなぁ」
アスランが笑うと、カガリは口を噤んだ。
「俺は、無理矢理ヤられたんだ」
琥珀が大きく見開かれ、勢い良く翡翠を凝視した。
「はっ、犯罪じゃないか!それじゃ!!警察には!?」
「言うわけないじゃないか。父の顔を潰す事になるだろ。
プラント一の名門、ザフトの理事長には家政婦一人を見抜く目も無いってな」
息子を産み落として死んだ妻を未だ忘れられない父は、その面影を色濃く残す自分を避けている。
だが。
「俺は大人の事情も空気も察する出来のいい息子なんだ。
滅多に家に帰っても来ない放任の父親の立場すら考える優秀な跡継ぎ」
嘲るように笑うそれは、誰に対するものか。
「その女の事情だけが読めなかったが・・・。
いきなりで抵抗するのが遅れて、されるがまま」
咽喉が鳴った音で、カガリは漸く己が唾を飲み込んだ事に気付く。
手が汗ばんでいた。
(・・・・・冗談だろ・・・・・・・・・・・)
喚きそうになる声を必死に押さえ込む。
響きだけは穏やかな声が、とつとつと流れる。
「まぁ、いい経験になったが。
他人は他人。
ただの女。
早めに解ってすっきりした」
あの日を忘れない、とアスランは呟く。
聖母が雌と化した瞬間の、その失望を。
母を知りたかった。
だが、その追い求める先にあるものが、己の甘やかな夢を打ち砕くかもしれないと思い立った時、脳が答えを弾き出し、自分は子供ではなくなった。
女は決して自分の母にはなれないし、また、母である者は既に自分ではない誰かの母なのだ。
周りの人間だけが得られ、自分だけはもう一生手に入れられないもの。
憧憬はいつしか歪み、女総てを支配したいと願うようになった。
母譲りの容姿のお陰か、寄ってくる女は後を絶たなかった。
今ではもう、何人抱いたかも解らない。
事後に胸に去来するのは、優越感と安心感。
女が肉欲に溺れる姿を見れば見るほど・・・・・・・きっと「母」もろくなものではなかったのだと思う。
自分が求める価値の無いものだった筈だと。
あの、家政婦のように。
アスランがカガリの両手を解放した。
カガリは一瞬固まったが、瞬時に後ろに飛びのき距離を取った。
口を開いたが声には出さず、黙ったまま己の腕を撫でる。
赤黒い指の跡が残っていた。
「あんたが言ったのは半分正解かもしれない」
アスランが笑う。
「支配したいんだ。多分、俺は」
カガリの頭がぴくりと揺れた。
沈黙が落ち、ややあって、
「・・・・馬鹿」
小さく小さく吐き捨てられた言葉が、少年に届いたかは解らない。
揺れる瞳を夕陽に向ける。
胸を巣食っていた恐怖は影を潜めていた。
視界を刺す赤い光に、同じ色の幼馴染の瞳を思い出す。
(・・・・・・・今、どうしてる?シン。
私はちょっとばかし、ピンチだ)
予感がする。
思いが覆される、とても落ち着かない予感が。
(多分、一教師としての窮地だぞ。
家族思いのお前だからな・・・きっと今この時も両親や妹と一緒にいるんだろうけどな・・・?)
きっと笑っている筈だ。
カガリの大好きな、無邪気で勝気な笑顔で。
幸せでいるといい。
誰だって、大切な人にはそうであって欲しい。
赤が滲んでいく。
予感が彩られていく。
今、正面を見れば、アスランが目に入る。
だが、その翡翠をもう美しいとは感じないのだろう。
(・・・・・・・・・虚ろ・・・・・)
音に乗せずに呟いた。
女を魅了し、皆を黙らせる双眸には、結局何も映ってはいないのだ。
アスランは何も見ていない。
見ようとしていない。
18の美空で何を悟ったというのか。
(・・・・馬鹿みたい・・・・)
カガリは思う。
けれど、予感は重さを増していく。
覆される。
胸が音を立てて軋む。
いつの間にか引いた汗が、身体の体温を下げていった。
輪郭を留めない夕陽を睨んで今度は音に乗せて呟いた。
誰だって、大切な人には幸せであって欲しいものだ。
だが、その幸せが自分に不幸を招くものだったなら。
「・・・原因はそれか?」
声は掠れていた。
アスランが首を傾げる。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、二、三回合意でヤッた後捨てたけど」
風が豪という音と共に髪を巻き上げる。
カガリは閉じた瞼の裏で、熱が広がるのを感じた。
「なんでだ?」
「もう、ただの女になったからさ」
夢が歪み、捻じ曲げられ、色褪せて。
姿形も消え失せる。
予感が更に重さを増した。
胸がぎしぎしと軋んでいく。
大切な人には幸せであって欲しいものだ。
だが、それは拒んでもいい。
そして、アスランは拒んだ。
その人が望む幸せは、たった一人ぶんの幸せだったから。
(・・・・・・シン。
いつも一緒に家に帰ってたよな。
いつも夕陽見ながら帰ってた・・・・)
喘ぐように口を開けた。
視界が赤い。
咽喉が燃える。
翠が、辛い。
「アスラン・・・・お前は夕陽見て何か感じる・・・・?」
カガリは小さな声で尋ねた。
「は?なんだって?」
アスランが目を瞬かせる。
「私はあったかいって感じてた。
父さんと母さんにお帰りなさいって迎えられてる気がして。
お友達とはさよならの時間よ、もう我が家に帰っていらっしゃいって。
あの光が家の明かりみたいに思えるんだ」
親の愛。幼馴染の愛。
それは、暖かい無償の愛だった。
生まれた時、出会った時から当然のように降り注がれた。
今はもう死んでしまったけれど、きっと空から二人で共に自分を見守ってくれている筈だ。
今はもう遠く離れてしまったけれど、きっと空を見て馳せる思いは同じ筈だ。
そう信じている。
それだけの絆と、愛がある。
それなのに。
(アスランにはそれが・・・・・・・・無い)
胸が苦しかった。
(愛を知らない?解らない・・・・?)
それは幸せを知らないという事。
此方を必死に見詰める琥珀にアスランは笑んだ。
「・・・もし、夕陽に口があったら。きっとこう言ってるんだろう」
赤い夕陽が沈んでいく。
「―――『さよなら。
もう、何処かへお帰りなさい』」
何処かへ。此処ではない何処かへ。
余韻を残し、夕陽はビルの隙間へと溶けた。
夕焼けが夕闇へと姿を変える。
赤かった視界が仄暗くなっていく。
沈黙が胸を押し潰す。
両の琥珀から涙が零れた。
アスランはそれをじっと見詰めていたが、ややあって目を逸らした。
「俺は・・・・・手に入らないものを欲しがりたくなんて無いんだよ・・・」
風に乗って届いた小さなその声は、何処か寂しさを含んでいた。
仮面を剥いで。
素顔を暴いて。
破壊して。
支配して。
胸に去来するのは。
(優越感と安心感)
心に去来するのは。
(・・・・・・・・虚無感)
満足なのに満足していない。
得ているのに失っていく。
「無償の愛って何だ?」
アスランは問うた。
「それを知らない俺に誰かを愛せるのか?」
カガリは黙す。
「それに答えられたら、ビーを辞めてもいいよ。
でも、どうせ、
―――あんたには答えられないだろう?」
そうして、アスランは笑う。
とても綺麗に。
欲しかった温もりと。
与えられなかった温もりと。
恐怖と痛みと。
苦しみとやるせなさと。
あとはただ、どうしようもない、寂しさに。
(―――畜生・・・これじゃ、もう・・・・)
閉じられていく鉄の扉の音を聞きながら、カガリは一人その場へしゃがみこむ。
誰もいない、場所。
彼のずっといる場所。
また、涙がこぼれた。
(・・・憎めない)
ビー。
仮面。
母親。
愛。
―――答は何処に。
温もりは、何処に。
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