溜息を押し殺す。

『B・5』



「何点だった・・・?」
「30」
「負けた。俺25」

アウル・ニーダとヴィーノ・デュプレは、揃って溜息を落とした。
廊下の隅で額を小突き合わせるようにしながら、暗い顔を見合わせる。
「・・・やばい。俺、母さんに今度成績落としたら家追い出すって言われてるんだよ」
「俺も。小遣い全面カットって宣告されてるのに〜!」
「こうなりゃ仕方ない。また直談判だな!」
言うが早いか、アウルがどこかに向かって走り出した。
「えぇ?!」
ヴィーノも慌てて後を追う。

「こないだも頼んだし、大丈夫かな?」
「平気だって!スマイルが生徒の頼み断った話なんて、聞いた事ねーし?
大体、スマイルが新設校に転任しちゃった後じゃどうにも出来なくなっちまうだろ!赤ザブ決定でいいわけ?
・・・・・あっ、いた!」

前方にお目当ての姿を発見し、アウルは目をきらりとさせた。


「おっはよ〜!スマイル!」
元気良く響く教え子の声に、男教師は振り返る。
優しく微笑んだ。
「・・・こらこらニーダ君。スマイルじゃなくて、「先生」でしょう?」
ききぃっと音を立てて立ち止まると、アウルはにっかりと笑った。
続いて、ヴィーノも辿り着く。
「おっ、おはよう!スマイル先生!」
「おはようございます、デュプレ君」
「あっ、あのさっ!あのさぁ・・・っ!」
もごもごと言い淀むヴィーノに、男は首を傾げた。

「スマイルってば、こないだの筆記試験、難し過ぎだったぜ?!」
アウルが、男の肩をばしばしと無遠慮に叩く。
しかし、男は気にもしないように、再び首を傾げた。
「あれ?そんなに難しかったですか?授業を普通に聞いていれば・・・・」
「ええ〜!無理〜!かったりぃんだも〜ん。俺、実技のが好きだな!実技試験だけで評価してよ〜!」
「・・・・・・・・・・・困りましたねぇ・・・・・・・・・・」

男は微笑む。
ヴィーノが、必死に訴えた。
「お願いスマイル先生!成績落とさないで!!再テストして点数加算してよ!同じ問題でさ!」
「う、う〜ん・・・・同じのはちょっと。少しだけ変えてなら・・・・」
アウルがにやりと笑った。
「・・・少しだけ?」
「はい」
「じゃ、一問だけ?」

男は苦笑した。


「・・・・・・・仕方ないですね」


アウルとヴィーノは、飛び上がって喜ぶ。
「サンキュー、スマイル!やっぱ先生の中でスマイルが一番いいや!」
「大好きスマイル先生〜!」
「今日も笑顔が光ってるぜ〜!!」


上機嫌で去っていく二人の生徒を眺めながら、やはり男は笑ったままだった。
その表情は幼く、穏やかで親しみやすく、アウルに言わせればつけ入り易いものだった。
生徒達は、彼を慕うのと同じだけ彼を侮っていた。

男は笑った。

だからこそ、彼等は気付かない。
教えて貰わなければ子供の目線では見落としてしまうものだから。


(――――終始笑顔の大人ほど、胡散臭いものは無いのにね)


口元だけは穏やかに、目元を細め首をこきっと鳴らす。
(面倒御免。将来安定。立つ鳥跡を濁さず)
心の中で、繰り返す。

生徒達の事情などに興味はないが、生徒には好かれていた方が何かとやりやすい。
その為に、彼等の要望には出来るだけ応えておいた方が良い。

(絶対評価だし。誰にも迷惑かからないし。ま、いいよね)
内申に多少の色がつく事は、この際無視で構わないだろう。



「こんな所にいたのね」

女の声が掛かる。
振り向くと、前方からフレイ・アルスターがやってきた。
「フレイ?」
男は目を瞬かせた。
「・・・どうかした?顔色悪いみたいだけど・・・」
フレイは沈痛な面持ちを隠そうともせず、
「どうした、じゃないわよ・・・あぁもう!何から話せばいいのか・・・!」
「え?」
「あなた、今日から例の彼女と合同授業でしょ」
確認するように男を見上げる。

その冬の空のような灰色の瞳を、男は好んでいた。
未だ想いを伝えられない相手を見つめ、顎に手をやる。
(・・・そういえばそうだったっけ)
一ヶ月後の転任に備え、暫くは前任教師として後任教師の補佐、授業の引継ぎをする事になっている。
男は笑った。

「綺麗さっぱり済ませたいな。
ザフトに残す足跡は美しい方がいいからね。教師としての箔もつく」
穏やかに語る声を聞いて、フレイは顎を引いた。

「あなたのそーゆー所知ってるから、言いにくいんだけど・・・」
女の瞳が同情の色を宿す。



「恨むなら、ザフトで体育教師になった自分を恨んでね・・・・・・・・キラ」



保健体育教師キラ・ヤマト。
箔が付くどころか、未来の花道に泥が付くかもしれない事態に、
彼はこの時まだ気付いていなかった。




そして、二時限目の予鈴は鳴る。


(なんでこんな事になったんだろう)
キラは、紫暗の瞳をのろりと窓の外に向け、思った。
声だけは、穏やかに紡ぐ。
「するべき事は・・・」

時刻は授業開始5分前。
場所は3−D教室50メートル前。

こきっと首を鳴らし、穏やかな微笑みを浮かべる。
「チャイムと共に教室に入る。教壇に立つ。簡単な挨拶を自己紹介をする」
とつとつと語って、向かう相手に視線をやる。

透き通った琥珀のような瞳。
肩で切り揃えられた蜂蜜色の髪。
程よく陽に焼けた健康的な肌。
桜色の柔らかそうな唇。
自分より8歳下の、年若く可愛らしい教師の卵だ・・・・・・・見た目には。

(まさか、理事長の息子を殴り飛ばそうとする奴がいるなんてねぇ・・・・)
キラは溜息を押し殺す。

(理事長が不在だったのがせめてもの救い?
・・・・僕にとっては、何の救いにもなってないよ。
なんで、よりによってそんな札付きが僕の後任なのさ・・・!)

「・・・してはならない事は」
再びキラが紡ぎ出す言葉に、黙って聞いていた琥珀が比例するように釣り上がっていく。
「これから入室する教室にいるアスラン・ザラ君への、個人的な攻撃は無し。
他の生徒同様、誠心誠意を持って接する事。よろしいですか?アスハ先生」

たっぷり間があった。


「・・・・・・・努力は・・・・・しますってば・・・・・・・・・」


心底不満気に呟く。

「・・・・・教師がそんなに曖昧な返事でいいと思ってるんですか?しっかり約束して下さい」
引き攣りそうになる頬をなんとか抑え、笑みを保つ。
心の中では、
(僕の監督不行き届きだって言われるかもしれないだろ!!
しっかり約束しろよ!!後輩のくせに!!)
などと、罵っていたが。

本来なら注意や説教をするのは自分の管轄外にしたいのだ。

童顔だか女顔だかの嬉しくないオプションの所為で、今まで自分が叱っても生徒が本気で態度を改めた事は皆無。
そもそも、言い過ぎてしまわないだろうかとか、相手が泣いてしまわないだろうかとか、自分だけが気を揉んだり、或いは出ない結果に怒りを抑え込みながら叱る行為は、すこぶる馬鹿馬鹿しいと思う。

自分の場合は、教師になってから半年でその事に気付いた。
以来、どんなに生意気な生徒であろうが、馬鹿な生徒であろうが、一度たりとて注意した事は無い。
なによりまず、生徒の前で笑顔以外を浮かべた事が無い。


その為、生徒には「スマイル先生」と呼ばれている。
職員には「ストレス先生」と呼ばれているが。


「返事はハイです。余計な補足は付けなくてよろしい」
「イイエ。努力はしますが、保障は無理です」
ぴきっ。
「クソガ・・・・子供ですか?あなたは。教師のセリフとは思えませんよ」
「イイエ。教師だし大人です。20歳ですもん」

(もん、じゃないよ!!そのセリフ総てがガキ臭いんだよ!!そもそも大人が子供殴ろうとするか!!)

学年主任に彼女と引き合わされ、職員室を連れ立ってからずっとこの調子である。
幼い子供がするように頬を膨らますカガリに、ぶち切れ寸前の自分を理性を総動員してなんとか抑え込む。
そう、なにしろ時間もないのだ。
もう始業ベルが鳴る。
嫌な予感はひしひしするが、とりあえず二人で授業を始めなくてはならない。
そして、可能な限り迅速に授業の引継ぎを終えるのだ。

このひよっこ教師と関わる時間は、短ければ短いに越した事は無い。

トラブルに巻き込まれて、転任が白紙にならない為。
綺麗に学園を去る為には。
本能がそう告げている。


「け・・・今朝の騒ぎはアルスター先生から聞いています。授業時間中に同じ事をしたら、即刻放り出しますからね?」
「・・・アスランをですか?」
「馬鹿か?!君に決っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・あなたですよ、あなた」
思わず出掛かった本音を誤魔化す・・・・・・・半分出た後だったが。


ジリリリリ・・・・・
ベルが鳴った。
言われた事など気にも留めない琥珀が、ぎらりと物騒な光を宿す。
紫暗が覚悟を決めたように天を仰いだ。

「・・・じゃあ、行きますよ。くれぐれも冷静にね、アスハ先生」
貼り付けられた笑顔につられたのか、カガリも笑みを浮かべた。
「ハイ。ヤマト先生」



(ああ、笑うと普通に可愛い子なのに・・・・)
キラは、どんよりと溜息を吐いた。


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