目の奥が急速に熱くなった。
『B・7』
「あはは・・・っ」
その楽しげな声に、全員が動きを止めた。
いつも冷静で穏やかで、自分のペースを乱さないあのザフト一の優等生が。
(アスランが腹抱えて笑ってる・・・!?)
ルナマリアは言葉を失い、キラは目を皿のようにした。
アウルはまじまじとアスランを見詰め、ヴィーノはあんぐりと口を開けた。
そして、カガリは、
「・・・・何が可笑しい?」
思いっきり顔を顰め、翡翠を睨んだ。
普段の彼など知らない。
初めて会った時から、この男は自分の前では常に不遜で無礼極まりなかった。
アスランは僅かに肩を揺らしながら、カガリに向き直った。
「いえ、失礼・・・。楽しい授業だなと思って」
(・・・・・・・・・・・・・・・・授業・・・・・・・・・・・・?)
すっかり、ぶっちぎりに忘れていた。
その言葉に、密かに汗が流れる。
目の前には、困惑と胡散臭げなオーラを放つ生徒達。
聞こえるのは、まだ笑い足りないのか、にっくき男の忍び笑い。
授業中とはとても思えぬ緩み切った空気―――それを引き起こしたのは、間違いなく自分であったが。
フレイやミリアリアから忠告を受け、失敗するまいとかなり気合いを入れてきた。
だが、果たして、これは初授業として成功したのだろうか。
自分なりに考えて、軽んじられぬよう頗る吠えてみたのだが、
(・・・・・・・なんか、生徒達の私を見る目が若干・・・・・白い・・・・・?)
逆に、軽んじられてしまったような。
しかも、何故だろう。
今現在、教室の雰囲気を支配しているのは自分ではなくアスランである。
笑い声ひとつで、喧騒をおさめた。
たった一言で、自分に冷水を浴びせた。
(ほっ・・・吠え面かかせるどころか爆笑されてるし・・・・・!!)
予定と違う。
カガリは、衝撃にがんがん痛む頭を抑えた。
そして、その隣でこの事態に愕然としている男がもう一人。
(・・・・なにこれなにこれ有り得ないよ!!今、僕何言った?!生徒の前で何しでかした?!
あぁ皆忘れて!!今のは幻覚だから!!僕はただのスマイル先生だから〜〜〜!!!)
汗を湯水のように垂れ流し、キラはぎぎぎっと穏やかな笑みを浮かべた。
不自然な上に遅すぎである。
視線の先の、今朝笑顔で甘えてきた教え子二人が不自然に目を逸らしたのは・・・・・・・・・・・・・・気のせいではないのだろう。
(・・・・・コレはアレだよね!確実にイメージダウンされちゃってるんじゃないのもしかして!!
このまま転任したらそのイメージだけ記憶に残っちうんじゃないのもしかして!!)
頭の中で絶叫を上げ、暫く不審な挙動を繰り返していたが、ふいにぴたりと動きを止めた。
口をゆるゆると弧の形にしたまま、隣で同じようにぼうっとしているカガリに、首を動かし、
「そっ・・・そうですかぁ!!よかったよかった!!ねぇ!?アスハ先生!!」
教室に響き渡る大声で言った。
「・・・・・・・・・・は?」
たっぷりと間があって、カガリが間抜けな声を出す。
振り返った先で、ぎょっと顔を引き攣らせた。
先程までどつかれたり怒鳴り合っていた先輩が、汗水垂らして笑顔を振りまいている。
(・・・・ぶ、不気味な・・・・っ)
言動もよくわからない。
「流石、歳が生徒達と近いだけありますねぇ!笑いのツボをよく御存知でぇ!」
目の前の男はにこにこと白い歯をキラリと見せた。
「いやホント、皆と仲良くする為に笑いから入るなんて、今時らしいです!ほんと感激!!」
今、何か宇宙語が聞こえたような。
「・・な・・・・・・なに・・・?」
カガリの乾いた呟きは、
「ご謙遜ご謙遜っ!!ぜ〜んぶアスハ先生が一生懸命考え出したネタじゃないですかぁっ!!」
目が笑っていない男の爽やかな声に、両断された。
「・・・いやいやいやいや、ヤマト先生・・・」
「いやいやいやいや、アスハ先生〜」
「・・・ないないないないない・・・」
「なくないなくないなくな〜い」
(に、逃げられん・・・っ)
この凶悪な笑顔は犯罪に近い。
何故だ。
この男は何故こんな無茶で奇怪で、わけのわからない事を。
カガリはフルスピードで頭を回転させ、はっとした。
(そうかっ!トラブルが嫌なのか!?)
亀並ののろさで、キラの真意に気付く。
知らず、溜息が漏れそうになるが。
(・・・し、仕方ない。
先輩だし、今日の所は顔を立てて・・・・って、立てられるのか?この言い訳で)
大きな疑問がよぎるが、とりあえず実行するのが先だろう。
これ以上その笑みを向けられ続けるのは、胃に悪い。
カガリはぎこちない笑みを浮かべて、生徒達に向き直った。
片手で額をぺしっと叩き、
「はっはっはっ。今のは私のネタだ」
言った。
想像以上に棒読みに近かった事に、内心自分で驚いたが。
・・・シーン・・・
生徒達からの反応は無い。
カガリがちらりと隣を見ると、キラからぶわっと脂汗が吹き出た瞬間だった。
(・・・きもっ!)
通用しないのも当然である。
なんせ、悪名高いレッテルを貼られた女と、癒し系の語尾にもれなく「?」が付き始めた男の言う事だ。
どうしたものかと、カガリがうんうん唸っていると、
「コントも出来るなんて、素晴らしい才能をお持ちなんですね。アスハ先生は」
アスラン・ザラが話しかけてきた。
エセ臭いほど爽やかな笑顔と、白々しい拍手を付けて。
「・・・・・逆にムカつ・・・・うぐっ!?」
ぼそりと呟いたカガリの言葉は、突如脇腹に炸裂したキラのエルボーによって遮られた。
ほぼ最後まで言った後だったが。
蹲り無言で悶絶するカガリを押しのけ、キラは身を乗り出した。
「そ、そうっ!そうなんですよザラ君っ。そして、皆さんっ」
目を輝かせ、大きく頷き、しつこいくらいに深呼吸を繰り返す。
平常心を取り戻そうとしているのか知らないが、不自然過ぎである。
「特技まで披露して頂けるなんて、感激です。ところで・・・
俺達からアスハ先生に質問してもよろしいですか?」
微笑む翡翠を、痛みを漸くやり過ごしたらしい琥珀が胡散臭げに見た。
固まっていた生徒達は、アスランの言葉に緊張を解き始め、それぞれに顔を見合わせた。
「・・・質問タイムってやつ?」
「・・・いーんじゃない。てゆーか、あの二人に進行任せてると荒れる気がするのは俺だけか?」
「いや、俺もそう思う」
「私も」
「・・・どーゆー教師だ?」
ひそひそと不安げに交わされる生徒達の声は、幸か不幸かカガリ達には聞こえなかった。
キラはぽんっと手を叩き、殊更明るい声を出した。
「それはいいですね!ではアスハ先生。お願いします」
紫暗の目を煌めかせる。
その目は如実に、「次喧嘩売ったらタダじゃ済まさねーぞこのアマ」と語っていた。
カガリはこくこくと声もなく頷いた。
姿勢を正し、咳払いを一つ。
「え〜・・・どうぞ・・・?」
「センセセンセセンセ〜」
早速陽気な声が上がる。
前髪にオレンジのメッシュを入れた、人懐こそうな男子だった。
青年というよりはまだ少年といった雰囲気に、カガリは小さく笑みを浮かべた。
「名前を教えてくれるか?」
「ヴィーノ・デュプレですっ!」
ヴィーノはにっこりと笑った。
「好きな食べ物は何ですか?」
想像していたより可愛らしい質問だった。
たった二つしか違わない相手なのに酷く幼く感じられるのは、やはり自分が教師という立場になったからなのか。
よりいっそう、カガリの笑みが深くなった。
「・・・ケバブかな!」
「好きな色は何ですか?」
「緑だな。あっ、でも赤も同じくらい好きだ!」
「好きなスポーツは?」
「うーん・・・陸上競技が一番好きだ!」
「好きな遊びは?」
「あ、遊び?えーと、何でも好きだと思うけど」
「好きな男性のタイプは?」
「タ、タイプ!?えーと、えーと・・・・・特に無い」
「・・・無い?じゃ、恋人は?」
「いない」
「過去は?」
「いた事ない」
「・・・・募集中ですか?」
「いや、別に」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうですか」
奇妙な間が空く。
ヴィーノは閉口し、周囲と目を合わせた。
若干20歳で、容姿にも恵まれ、シチュエーション的にも美味しい女教師にしては、艶が無いような。
「えーと、じゃあ好きな〜・・・」
ヴィーノが再び質問をしようとした時、
「センセ〜」
アウルが口を挟んだ。
「処女ですか?」
びしり。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだって?」
「処女膜破れてますか?」
びしりっ。
「ア、アウルっ!駄目だって!そーゆーのはさぁ!もっとさぁ!色々聞いてからさぁ!!」
慌ててアウルを小突くヴィーノだが、その目にはしっかりと好奇の光が宿っている。
カガリは恐る恐るクラス全体を見渡し、そして気付いた。
ヴィーノだけではない。
教室中の生徒達が、それぞれにひそひそと何かを囁き交わし、表情をにやつかせている事に。
(・・・タ、タチ悪・・・っ)
最近の学生は皆こういうノリなのだろうか。
カガリは衝撃を受けた。
まさか、目の前の女教師がつい昨日強姦されて処女喪失しているとは、夢にも思わないだろう。
しかも、喪失させた男がこの教室に堂々といるなどとは。
その時、翡翠と目が合った。
アスランは面白そうに小首を傾げてみせる。
カガリは怒りを堪えた。
(お前が質問タイムなんて言い出さなきゃこんな事になんなかったのに・・・っ!!
なんて答えりゃいいんだよ!?
恋人いた事ないっつってんのに、しょ、処女じゃないなんて言ったらおかしいだろうが!?
お前は何度私を窮地に追いやるつもりなんだ〜〜っ!!!)
嘘は嫌いだった。
だが、正直に答えるには体験した内容が痛過ぎる。
明らかに楽しんでいるアスランの前で、そんな事は口にしたくない。
自分はお前に汚されたのだと。
自分自身がそう認めているのだと。
思われたくは、ない。
ならば。
「・・・な、内緒だっ!」
露骨に目を逸らし言い捨てるが、
「アスハ先生、ちゃんと答えてあげて下さい?」
有り得ない程ににこやかな声に、ぎょっとして振り向いた。
そこには、口だけ笑ったキラの姿。
「いけませんねぇ。いけませんよぉ。生徒と親睦を深める場で頑なになっちゃあ。
言って減るものでもないでしょう。ホラホラさぁさぁ」
背後に黒い炎が見えた。
(・・・なにがなんでもイメージアップを謀るつもりなんですねっ・・・ヤマト先生・・・っ)
頬を引き攣らせ、がっくりと肩が落ちた。
これで回避は不可となった。
(・・・・・・・・・・・・・もうどうにでもなれっ・・・)
アウルはにんまりとした。
スリーサイズなんて、生温い質問は除外だ。
未婚か既婚か。
今現在フリーか。
極めつけは処女か。
際どい質問に対してどう答えるか、またはどうかわすか。
自分が見たいのはまさにそれ。
女教師など、男子にとって憧れかただのオモチャでしかない。
そして、自分にとっては後者だ。
(さーて、怒り出すか、泣き出すか)
質問タイムは常に生徒側が主導権を握る。
新任教師なら尚更だ。
(しかも、相手は久々の上玉。アスランの奴、いいタイミングでいい提案してくれるぜ!
ひょっとして、実はあいつも興味あったとか?)
ちらりと優等生に目をやる。
しかし、当の本人は涼しげな顔で、黒板を眺めているようだった。
アウルは面白くなさそうに肩を竦める。
(・・・やっぱ違うか。あの優等生がそんな事考えるわきゃねーや)
そう、アウルを含め、男子生徒達は、知らなかった。
その優等生が、連日女生徒達を喘がせ、乱れさせるビーだという事を。
だから、あっさりと視線を外した。
その優等生が、ひっそりと口の端を吊り上げている事に気付かずに。
教室を支配していた沈黙は、カガリが口を開いた事によって幕を閉じた。
「・・・・・・・・・・・・・処女じゃ、ない」
皆が目を見開いた。
穴があったら入りたい。
いや、むしろ入る為の穴を掘りたい。
カガリはトマトのように真っ赤になって俯いた。
(・・・・・・・駄目、だ。嘘はつけないよ・・・私は・・・っ)
アウルはぱかりと口を開いて、それを見た。
(・・・そうきたか・・・)
ルナマリアが驚きの声を上げた。
「それって恋人じゃない人とヤッたって事ですか?」
メイリンが呟く。
「・・・遊びですか?」
カガリは目を剥いた。
「ちっ、違う!そんなんじゃないっ!」
「あ、恋人じゃないけど、惚れてる相手とか?なら・・・」
「断じて違うっ!!!」
ざわり。
「遊びじゃなくて、それって・・・」
「え〜っ!?じゃあ、無理やりヤられたって事ですか!?強姦じゃん!!」
その通りだ。
だが、それは言ってはならぬ事。
出掛かっている言葉をぐっと飲み込み、カガリは別の言葉を探し目を彷徨わせた。
「い、いや・・・!じ、事故ってゆーか・・・?」
「事故〜?」
「なに、酔った勢いでヤッちゃったんですか?」
「わっ、私は酒は飲んだ事がない!!」
「じゃあ、やっぱりシラフでヤッたんじゃないですか!」
「ちっ・・・違う!そうじゃないんだ!そうじゃなくて・・・っ」
カガリの弁明もなんのその。
生徒達の勢いは止まらない。
「結構誰とでもヤっちゃうタイプなんですかぁ?」
「どんな体位が好きですか?」
「センセイ、一晩で何回くらいイケる?」
次々に飛び出す過激な質問に、カガリは視界が白くなっていくような気がした。
彼等が何を言っているのかが解らない。
自分はただ被害者で。
無理矢理身体を開かされただけなのに。
なのに。
彼等の自分を見る目はどうだ。
ぶつけられる質問の意図は何だ。
これでは、まるで。
――――まるで。
(私が、ふしだらな女みたいじゃ、ないか・・・っ!!)
目の奥が急速に熱くなった。
涙が、溢れる。
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