その中の、強烈な毒を。

『B・8』



歳若い女教師の瞳に涙がせり上がったのを見てとり、アウルは心を踊らせ、


「教師と生徒が信頼し合う為には、どうしたら良いと思いますか?」


突如響いたとびきり冷静な声に、顔を曇らせた。

全員がその声の主を見遣る。
その視線の先には、先程笑い転げていた筈のアスラン・ザラが、今はゆったりとした微笑を湛えていた。

「生徒会長として、いえ、一人の生徒として是非ともアスハ先生のお考えをお聞きしたいですのですが」

常ならば至極真っ当なその問いは、今のこの教室においては、全く展開にそぐわない唐突なものに思えた。
しかし、それでも浮かれた空気に水を注し、皆を現実に引き戻すには十分な言葉だった。


波立っていた水面に静けさが戻っていくように。


(・・・・・あいつ・・・・?)
予想だにしない助け舟にカガリはうろたえた。
驚きからか、琥珀の瞳から涙が乾いて引いていく。
アウルは面白くもなさそうに、頬杖をついた。

(・・・やっぱり優等生だ。興醒めだぜ、アスランの奴・・・・)



キラはカガリをちらりと横目で見て、
(泣き出さなくて良かった)
ほっと息をついた。
(助けられた・・・のかな?彼に)
そのままアスラン・ザラに視線をやるが、当の本人は静かに微笑んだまま、それ以外の感情を読み取らせない。

(まるでラクスみたいだ)
思わず舌を巻く。

(大した生徒だな。
アスランと何があったのか知らないけど、アスハ先生には彼を見習って欲しいよ。

私情を剥き出しにしない辺りが数段大人だよ)


処女ではないと答えた時は仰天した。
どうやら彼女は、自分の想像以上に純粋というか、単純というか・・・・とにかく真っ直ぐ過ぎる性格のようだ。

(どっちに答えたって皆が沸き立ったには違いないけどさぁ・・・。
その前の質問で恋人歴ゼロって言っちゃってるんだから、
処女だって答えといた方がツジツマが合うっていうか。

てゆーか彼女の過去も意外だったけど)

キラは半目になって、静かに息を吐き出した。
(嘘が付けない性格って、自分から墓穴掘るから・・・・・不便だよねぇ)
果たしてそれが、教師として吉と出るか凶と出るか。


静まり返った教室で、カガリもまたゆっくりと息を吐き出した。
(・・・・・・・・・・・・・・なんで)

追い詰めたり、助けたり。
一体どういうつもりなのだろうか。

(・・・・・・・・・・・・・・なんで?!)

火を注いだり、水を注したり。
アスランの一言で教室の空気が一変する。
それなのに、誰もが彼の言葉を受け入れる。


(まるでこの教室の雰囲気を支配してるみたいだ・・・!)

カガリはアスランを見つめた。
低く甘いテノールの響きは、確かに人を惹きつけ、黙らせる魅力を持っているのだろう。

小首を傾げる男の表情は、「調子に乗らせてすみません」と宥めているようにも、「この問いに食いついて、やり過ごしたら?」と誘っているようにも取れた。


煽られて。
鎮められて。
追い詰められて。
助けられて。

徐々に戸惑いと、それに相当するだけの怒りが湧いてくる。

(あいつの手の平で踊らされてる・・・?!)
この感情さえも。


(・・・・・・・・・・助けられた、なんて思ってやるもんかっ!)



質問にはまだ答えていなかった。
その問答自体が茶番のように思える。
(心にも思っていない事を!
行儀が良過ぎて、胡散臭いんだよ)


生徒達と信頼関係を築くのは、良き教師として当然の行為であり、目標だと思っている。
だが、それはあくまで対象が善良な生徒だった場合に限るだろう。

例えば、強姦魔で二枚舌の生徒にどう理解を示し、信じろというのだ。
教師とて人間である。
理性だけで構成されていると思って貰っては困る・・・・・・・・・・・特に自分は。

(でも、それは未熟だから・・・?
悪魔みたいな生徒に対しても、女神のように寄り添って理解してやるのが、
良い教師の姿なのか・・・?)

アスランに対して真摯に接しろ、とキラに言われた事を思い出す。
(・・・・・・・わからないよ)
カガリはかぶりを振った。
自問自答した所で答は出ない気がした。
・・・・・他教師からも答を得られない気がした。


(あいつなら、どう言うだろうな・・・)
この場にはいない幼馴染を思い出す。
悪ぶっているのに、本当はとても優しくて、正義感と情に溢れていた。

(あいつなら、きっとこう言う)



『たった一回の過ちで、相手を信じてやれなくなるのは辛いよな』


『許せないのは、自分が許さないと、許してやらないと強く思ってるからだ』


『許すのはとても勇気がいる事だ
だけど、あんたならそれが出来ると俺は信じてる』


『いつかあんたが教師になった時
困ったり、色々嫌になった時は
教師になった動機を、初心を思い出せ

俺が学生の時に、あんたに教わりたかったと思わせるくらいのセンセイになってくれよ


・・・・・・・・・・・・・・アスハ』




黒い髪。
紅蓮の瞳。
優しい言葉。

恋人ではなかったけれど、自分の傍には常に愛しい少年がいた。
彼が親の転勤で引っ越すまでは。

だが、その言葉は今も自分と共にある。

癪ではあるし、不本意でもある。
だが、一人の男子生徒の為に、本来の自分の目標を蔑ろにするわけにはいかなかったのだ・・・・そういえば。

幼馴染には猪突猛進、短絡思考とはよく言われていたが、まったくもって今この時ばかりは、自分の性格が嫌になる。


カガリは、きゅっと唇を引き締めた。


此方を見詰める翡翠の瞳に、ゆっくりと目を向ける。
「信頼関係を築くには・・・・互いが互いを尊敬する事がまず必要だ、ザラ」

真面目な答に、アスランが目を丸くする。
構わず、カガリは言葉を続けた。
「信頼は信用とは違う。片方だけの気持ちじゃ成り立たない。
互いに人間として、個人として理解し、敬う。
言っとくが、盲信とは別物だからな」

クラス中の人間がカガリを見つめた。

「長所も短所もぜーんぶ引っくるめての、尊敬だ。
それが信頼に繋がる。
相手の根幹、あるいは真髄を。言い方はアレだが本性ってやつだな。
それを受け入れた上で、初めて尊敬出来るかどうかの材料が揃う」

アスランが片眉を上げた。
「それでは、本性を曝け出す事が前提なんですか?」

「当然だ。曝け出せない奴は、他人様から信頼なんてされるわけがない」
射抜くように強い光を放つ琥珀に、アスランは口を噤んだ。
生徒達が目を見張る。

「秘密を持つのは仕方ない。一つや二つ持ってるもんだ。
だが、他人を欺いちゃ駄目だ。
偽りを演じている人間は、いつか見破られる。
他人は己が思っている程、鈍くもなく愚かでもないから」


カガリは、奇妙に静まった教室全体を見やった。
最初からこんな説教じみた話をすれば、退屈される可能性はあった。
先ほどからの失態続き、これ以上の恥の上塗りは避けたかったが、カガリは言わずにはいられなかった。
これが、偽り無き己の思いだからだ。


「人から信頼されたいなら、まず自分を曝け出せ。
私は、曝け出せる人間こそ尊敬する」

震えそうになる声を押さえつけ、勇気を振り絞った。

「私はお前達と信頼し合いたい。
その為に教師になったんだよ」


生徒達は息を止めた。


「私は未熟だ。だが、だからこそ共感出切る事、力になれる事もあるだろう。
他の先生方では出来ない事も」

キラも静かに目を見張る。


「卒業までの短い期間だが・・・頼りにしてくれ。
よろしくな?皆」
そう言って、カガリは微笑んだ。
心臓がばくばくと音を立てて走っていた。


永遠とも言える沈黙が落ちる。
そして。



パチパチパチ・・・・


小さな拍手が響いた。
ヴィーノである。
彼は、頬を染め、口を真一文字に引き締めて手を打ち鳴らした。
その隣で、アウルもまた軽く手を叩き、
「・・・そいつぁどうも・・・・・・・・・・ヨロシク」
面白そうに笑んでみせた。

カガリが光景に驚き固まっている内に、一人、また一人と拍手を鳴らし始め、数瞬後にはその音は、教室全体に響き渡る大喝采になった。

「いいぞ〜!新米先生っ!」
「期待してまっす!」
「かっこいい〜!!」
喜び手を打ち鳴らすのは、男子生徒だけではなかった。
「曝け出させるのはセンセーの役目でしょ?
言っておきますけど、私はそう簡単に落ちませんからね」
ルナマリアが足を組み、軽く手を鳴らす。
呆れたような、それでいて興味の篭った目で。
メイリンも赤い顔で、必死に両手を打ち鳴らす。
「こっ、怖くない事も言えるんですねっ。感動ですっ」
キラも笑顔でゆっくりと手を叩いた。
驚いた事に、その時は目も笑んでいる気がした。

「・・・・・すばらしいですよ、アスハ先生」


授業開始当初の品定めをするような目は、今やどこにも見当たらない。
カガリは胸が熱くなった。



その空間の中でただ一人、拍手をしていない者がいた。
暫く翡翠を僅かに揺らせていたが、やがて瞳を閉じ、次に開けた時にはそこは熱を帯びていた。
ゆっくりと笑みを浮かべる。


「では、カガリ先生の信頼を得る為に、俺達も心を開くよう努力します」


それはこの騒ぎを鎮める締めのセリフだったのかもしれない。
だが、爽やかな瞳と、穏やかな微笑に。
宥めるような、誘うような、低く甘いテノールに。



・・・・・・・・警鐘が鳴った気がした。



アスラン・ザラの唇が音を乗せずに、動く。
カガリを真っ直ぐに見詰めて。



[   カ ラ ダ モ ネ   ]



瞬間蘇る、体育倉庫の二人。
容赦が無かった男の針。
泣いた自分。

カガリの心が引き付けを起こした。
焼けるような痛みを思い出して、眩暈がする。
手の指が上手く動かない。
息が上手く吸えない。
身体の芯が悲鳴を上げる。


宥めているのではない。
誘っているのではない。
引きずり込もうとしている。
――――蜂の領域に。



他人が知らないアスランを理解する為の材料を、知っている。
その中の、強烈な毒を。


next