認めたくない。
『B・9』
アスランの言葉が発せられた直後、再び拍手(主に女子からの)が沸く。
若いねぇ、と眺めていたキラだったが、ふと隣に立つ新米教師に目を遣り、首を傾げた。
カガリの顔から、一切の表情が抜け落ちている気がする。
(・・・?どうかしたのか?)
黙っていれば可憐な顔には、先程から幾度となく見せられていた怒りの色は見当たらなかった。
琥珀の瞳が向かう視線の先には、変わらず穏やかに佇む翡翠の瞳がある。
「・・・アスハ先生?どうかしましたか?」
小さく肩を叩くと、大袈裟な程びくっと身体を跳ねさせて振り向いた。
その瞳の奥に潜む色に、眉を顰める。
(・・・・・・・・・・なに、その顔)
カガリはキラを目で捉えると、はっとしたように表情を慌てさせた。
「あっ・・・すいません。ぼーっとしちゃってました・・・・」
不自然に目を泳がせ、小首を傾げる。
「えぇと・・・・次、何やるんでしたっけ?」
キラは、黙ってカガリを見つめていた。ややあって、にっこり笑ってから、
「仮にも教師なら、予定くらい覚えてて下さいね。次は、体育委員についてですよ」
「ああ!そうですか!えっと、じゃあ、体育委員は挙手してくれ!」
すぐに視線を逸らして生徒達に向き直ったカガリに、笑顔を消した。
「連絡事項の伝達や、ちょっとした雑務、レポート等の収拾を手伝ってくれる委員だったよな。確か」
笑顔で語るカガリは、活発な先程の彼女の姿そのものだ。
教室の空間に、すっと一本の腕が天に向かって伸び上がる。
アスランだった。
それを目にした小さな金の頭が僅かに揺れたのを、キラは視界の端に捉える。
生徒は、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「アスハ先生。今、このクラスの体育委員は入院中でいないんです」
一瞬間があって、カガリはくるりとキラを振り向く。キラは、ぽんっと手を叩く。
「あ。そうでしたね」
「・・・・・・・・覚えてて下さいよ。仮にも教師なら」
じと目で呟き、カガリは暫し口を閉じていたが、ややあって、
「・・・じゃあ、誰か代理を頼めるかな」
明るい声で、生徒達に問い掛ける。
途端に顔を見合わせる生徒達を見渡しながら、琥珀の瞳がある一点で止まるのを、キラは見た。
静かに、目を凝らす。
女は笑顔だった。
他の者に対して向けるものと、全く同じ種類のそれを彼に向けていた・・・有り得ない程に。
だが。
(・・・・・アスハ先生・・・・?)
紫暗の瞳の中で、二つの視線がぶつかる。
穏やかな、翡翠と。
笑みながらも・・・・・・・どこか揺れた琥珀と。
お互いにお互いを射抜いているようにさえ見えた。
しかし、不思議な事に交差した視線の先には、火花は見えなかった。
あの、好戦的な女からさえも。
(なんなんだ・・・?
なんで、あの二人はあんな目で見詰めあってるんだ・・?!)
怒りの色はない。
かといって、愛の色とは程遠い。
特に、カガリのあの瞳の奥には別の何かが見え隠れしている。
揺れたままの琥珀は、逸らされる事はない。
閉じられる事はない。
―――心臓の音が大きくなる。
翡翠が、探るようにゆっくりと細められた。
琥珀は動じない。
ややあって、先に目を逸らしたのはアスランだった。
背けた先で、小さく口の端を吊り上げる。
キラはそれを見て、息を呑んだ。
アスランはすぐに口の端を元に戻すと、カガリに向き直り、優等生の顔で微笑んだ。
「代理は、俺が引き受けます」
ルナマリアがぎょっと目を剥いた。
「流石、優等生だねぇ」
アウルが肩を竦め、
「えぇぇ〜・・・・・」
ヴィーノとメイリンは、羨ましそうに口を尖らせた。
キラは、呆然と立ち尽くす。
引き攣る頬を、乾いた咽喉を、なんとかゆるゆる動かした。
「・・・・そ、それはそれは・・・・・相互理解を深める、いい、チャンスに・・・・」
カガリは動かなかった。
「お役に立てるか解りませんが、こんな俺でもクラス委員長として出来る限りのお手伝いをさせて頂きます」
ガタリ、と椅子を引く音がし、アスランが教卓前まで近付いてくる。
そのまま、すっと右手を差し出した。
「改めまして、アスラン・ザラです。
よろしくお願い致します」
カガリは、黙ってそれを見上げる。
クラス中の生徒達が、事の顛末を見届けようとしている。
カガリは小さく息を吸い込み、
「・・・カガリ・ユラ・アスハだ。
こちらこそよろしく頼む」
笑った。
キラはただ、それを見詰めて言葉を失っていた。
これは、なんだ。
(・・・漸く教師らしくしようとでも思い立ったのなら、嬉しい。
さっきまでみたいに、子供みたいに喚かれるよりは、いい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だけど)
おそらく、そういう類ではない。
半分当たっていたとしても、半分は絶対に外れている。
(アスラン・ザラはとても真面目で、優秀だ。
運動神経も良いし、性格も穏やかで人望も篤い。
なにより、あの厳格な理事長の息子だ。
・・・・・・・・・そういうキャラだったよね?)
カガリがアスランに手を差し出した。
小さな白い手が、一回り大きい手に覆われていく。
その時、キラの耳が僅かな声を捕らえた。
桜色の唇から零れるその、言葉を。
「・・・カラダは開かない。
心なら開いてもいい」
(―――――――なにそのセリフ)
キラは視界が白くなっていくのを感じた。
あの声では、きっと周りには聞こえてはいない。
聴力が人並み外れて優れている自分は別にしても。
それ程までに、小さい声だったのだ。
だからこそ、余計に。
アスランにだけ向けられた言葉。
他の誰かに聞かれてはまずい言葉。
二人にだけ伝わる・・・・内容。
(・・・・い、意味深過ぎやしないか・・・?!
まるで・・・まるで、まるで!
二人の間に本当に、何かただならぬ事があるみたいじゃないか?!)
新米教師と、歳の変わらぬ理事長の息子。
背筋が急速に凍っていく。
(いや!まだわからない・・・!
だって、取るに足らない事故が原因で、アスハ先生だけが一人いつまでも根に持ってザラJr.に突っかかっていってるって・・・・
専らの噂だったじゃないか!!)
皆がそう言っていた筈だ。
野次馬をしていた生徒達や、用務員までもが。
その時、キラははっとした。
(フレイとミリィだけは、何も言ってなかった・・・・?!
噂好きの二人が、あの事件に対しては何も!
・・・そういえば・・・
更衣室に三人で篭って、何か大声で揉めてたって用務員さんが言ってた気がする・・・!)
まさか。よもや。そんな。
キラの頭の中で妄想が駆け巡る。
勿論、三人はただ大声で井戸端会議をしていただけなのかもしれないが。
(これが、深読みせずに済む状況か!?無理だっつーの!!)
深入りをするのは御免だ。
綺麗な花道を歩くのに、他人のスキャンダルに巻き込まれるなど、もっての外である。
(げ、幻聴だ!そういう事にしておこう!!)
案の定、生徒達は誰一人として反応を示していないのだし。
自分一人に聞こえたのであれば、それを幻聴と決め付けてきっぱりすっぱり忘れたとしても、誰にも迷惑は掛からない。
そうとも。
自分の耳は、何一つキャッチしていない。
(気のせいだ)
胸のざわつきも。
滲み出る汗も。
痛む頭も。
そして、
琥珀の奥にある色が、まるで怯えているように見えたのも。
カガリの小さく息を呑む気配に、ばっと其方に視線を向けた。
目を凝らすが、握り合った二人の手からは何が起こったのかは解らなかった。
―キーンコーンカーンコーン―
その時、授業終了のチャイムが鳴った。
どっと汗が吹き出て、キラは全身の力を抜く。
「で・・・で、では、また次回に――」
しましょう、と言い掛けて視線を二人から外し―――優秀な我が耳は、それを捕らえた。
「・・・心だけじゃ足りない」
鐘の音に紛れた、低く甘い小さなテノールを。
放課後を迎え、校内が部活に向かう生徒達で俄かに騒がしくなっていく。
どこかぎこちないキラと共に、なんとか午後の授業をこなしていったカガリは、屋上で一人佇んでいた。
紅く染まった空の下、鉄の箱の上には自分以外誰もいない。
「・・・はぁ・・・」
重い溜息を吐き出し、右手を擦る。
(変な触り方しやがって・・・)
握手をした瞬間、間違いなく男の指は此方の指の腹を意図的に、撫で上げた。
その瞬間、ぞわっと湧き上がったむず痒さに小さく息を呑めば、薄く笑った。
少なくとも、自分にはそう見えた。
それから、例のあの言葉。
屋上の鉄扉が開く音がした。
「・・・ここにいたんだ」
続いて響く声に、カガリはゆっくりと後ろを振り向く。
「・・・ここは、立入禁止だぞ」
「あんたも進入してるじゃないか」
手酷く付けられた傷はなかなか癒えないと。
辛い記憶は褪せないと。
亡き母の後を追った父が、生前言っていた言葉を思い出す。
「私は初犯だから見逃して貰えるさ。知らなかった、で通せばいい」
「教師のくせにせこいね。俺と一緒に見つかったら、その手は無理だよ。
3年間ここにいて、校則を知らない生徒はいない」
咽喉で笑いながら、生徒は屋内へと続く鉄の扉を閉めた。
風が吹き、髪を揺らす。
「・・・やっと、二人きりだ」
自分は父とは違う。
心の傷など、今までずっと自ら荒療治してきた。
今までずっと、そうやって生きてきた。
「・・・・・・・・・・見つけるのが遅いんだよ」
カガリは生徒を見詰めた。
向かう瞳が、悪戯気に細められる。
「それじゃ、俺を待ってたみたいに聞こえるよ」
赤く染まった視界で、カガリは瞳に力を込めた。
「お前を更生させようと思ってるのさ。私の為にもな」
「は?」
「その為に、まずお前を理解する。総ての行動には理由がある筈だ。なんでビーなんてやってるのか教えろ」
屋上に笑い声が響いた。
「教師然とでもしようってつもりか?」
藍の髪が夕陽を浴びて、キラキラと赤く輝く。
長い前髪が額に影を落とし、その隙間から覗く夕陽の赤にも染まらない翡翠は、この世の者とは思えない美しさを放っていた。
アスランは、口を下弦の形に吊り上げた。
「いいよ。たっぷりと教えてあげる・・・・・新米先生」
今までずっと、そうやって生きてきた。
傷は癒せる筈だ。
記憶は褪せる筈だ。
今回だって。
二人でいる事が怖いと思うなんて。
瞳を逸らしそうになるなんて。
今も震えそうになるのを、必死で我慢しているなんて。
(認めたくない・・・・・っ!!)
視界は未だ――――揺れていても。
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